伊豆・北条寺(北條寺)の解説~北条義時夫妻の墓がある江間の寺院

伊豆・北条寺

伊豆・北条寺(北條寺)

伊豆・北条寺(北條寺)は、静岡県伊豆の国市南江間にある臨済宗建長寺派の寺院です。
かつては宝城寺と称していました。
山号は、背後の山の名前・巨徳山(ことくさん)と言います。
この江間荘は、北条時政の子・北条義時(江間四郎)の領地だったようで、北条寺(北條寺)は鎌倉幕府2代執権・北条義時による創建と伝わります。

伊豆・北条寺

七堂伽藍を建立したようで、仏殿の阿弥陀如来像(木造阿弥陀如来坐像)は、運慶作とされ、
また、観世音菩薩像(木造観世音菩薩坐像)は、源頼朝源氏再興を祈願した仏像とされ、鎌倉・極楽寺にあったものを、北条政子が北條寺に奉納したと伝わります。
寺宝としては、中国で作られたものを、北条政子が奉納した牡丹鳥獣文繍帳三帳などがあります。

なお、境内の墓地にある高台には、北条義時と妻・佐伯氏の娘である夫妻の墓があります。


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北条義時が創建した際の逸話として北条寺縁起に、北条義時の嫡子・安千代が、大蛇に襲われ命を失ったため、伽藍を建立したとあります。
北条義時の子として、北条安千代は、歴史に登場しないのですが、鎌倉から、江間に遊びにでも来ていた際に、蛇に食べれた?子がいたのかと、伊豆あるあるでして、またしても、面を食らいます。
ただし、どうやら、北条寺の創建自体は、南北朝時代とも考えられているようですので、北条義時が創建したとも確実性はないようです。

戦国時代に入ると、1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際の、韮山城の戦いにて、願成就院と共に戦火の被害を受けました。
その後、江戸時代に再興されたとの事です。

北条安千代?

先にご紹介した、北条義時の嫡子・安千代に関しては、江戸時代に、韮山代官・江川英毅の援助を受けて、秋山富南が編纂した豆州志稿を、補完した増訂豆州志稿によると、下記のような伝承があるようです。
11歳になった安千代は、陣野村にあった千葉寺の寺子屋にて、学問に励んでいたとあります。
ただ、伊豆の千葉寺があった場所ですが、千代田団地公園の北側ともあります。

その江間安千代が、千葉寺からの帰り、大池のそばを通った際に、大蛇に呑み込まれたと言います。
家来たちから事件を知らされた北条義時は、怒りましたが、大蛇がやったことなので、仕方ないとし、のち、大蛇の左眼を射ったと言います。
その後、大蛇は、どこかに去ったとされ、その大池は、少しずつ浅くなり、やがて田地になったため「池田」と呼ばれたと言います。
池田と呼ばれた場所は、伊豆中央道江間料金所の近くだったともあります。


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ただし、実際に、江間荘は、狩野川が、蛇行して流れている関係で、湿地が広がっており、古くは池の状態のようだったと言います。
その池の水を抜いて、田んぼへと新田開発したのは、間違いないと言え、その話が伝説となったのでしょう。
その池を挟んで、南北の場所を、珍場(ちんば)・珍野(ちんの)とも呼んだようですので、陣野(じんの)と、発音も似ています。

ただ、鎌倉時代に、学問ができる寺小屋が、伊豆に存在していたのか?
安千代の母は誰だったのか?など、疑問点も、いくつか残ります。

北条寺の現在の本堂は、1970年代に再建された建物です。

伊豆・北條寺

本堂に安置されている仏像は、団体のみ事前予約での見学になるようでして、個人では見学ができないようです。

なお、境内には、北条義時夫妻の墓とされる供養碑があり、お参りすることができます。

北条義時夫妻の墓

北条義時夫妻の墓がある場所ですが、ちょっと、分かりにくいので、解説致します。
北条寺の山門から境内に入ると、左手に墓地があります。
その墓地に向かうと、更に左手に小高い丘がありまして、その丘の上に、北条義時の墓があります。
下記の写真にある階段を登って行きます。

北条義時夫妻の墓への行き方

階段を登り切った平場が墓地になっていますが、そこではなく、更に右手に更にちょっと上がったところが、北条義時夫妻の墓です。

北条義時夫妻の墓

なお、北条義時の妻の墓は、北条寺の説明によると「佐伯氏の娘」とあります。
伊賀氏の変にて、北条荘に流された、伊賀の方です。
ただし、伊賀の方の出自は、伊賀朝光の娘とされますが、伊賀氏は、その昔、一時「佐伯氏」を称した、波多野氏と同じ、佐伯氏から藤原氏に改めた藤原北家秀郷流と考えられますので「佐伯氏の娘」と言うような記述になったのでしょう。
ただし、仲良く、墓が並んでいることからも、伊賀の方が、悪だくみをしたとは考えにくいところですが、のちの世では、悪者にされてしまったようです。

北条義時の墓

なお、2代執権・北条義時の正式な墓所は、鎌倉の法華堂になります。
要するに、単なる墓ではなく、霊屋として建物が建てられて、供養されたと言う事になります。
ただし、その法華堂の建物は現存しておらず、現在は跡地としての法華堂跡と言う事になりますが、そのすぐ隣には、源頼朝の墓所・法華堂も隣接していました。
御朱印は、声をかけて、人がいれば、頂ける可能性が高いです。

交通アクセス

交通アクセス・行き方ですが、伊豆箱根鉄道の韮山駅から、約2km、狩野川を越えて、徒歩30分ほどになります。


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色々と周るのであれば、伊豆長岡駅まで行って、レンタサイクル(貸自転車)だと便利です。

北条寺の山門手前は、道路がとても広くなっており、駐車可能な駐車場(5台程度)も兼ねているようです。
駐車場の場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしてありますので、カーナビ代わりにもお使い頂けますと幸いです。

近くの江間氏館跡北条政子産湯の井戸北条氏館跡願成就院八重姫様供養堂などと、セットでどうぞ。

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