女塚の解説「八重姫の侍女が自刃した伊豆の峠路」

女塚

女塚とは

女塚(おんなづか)は、静岡県伊豆の国市浮橋字土沢にある史跡になります。
伊東祐親の3女である八重姫(やえ-ひめ)にまつわる場所でして、2022年「鎌倉殿の13人」では、新垣結衣さんが、八重として、出演されます。
伊豆・大仁に伝わる伝承や、曽我物語から総合的にまとめますと、下記の通りです。

女塚

1175年、八重姫は、まだ3歳の千鶴丸を殺害され、他家に嫁ぎます。

<注釈> 女塚の説明では、伊東祐親は、八重姫を監禁するも、千鶴丸を秘かに、甲斐源氏のもとに逃がし、のち島津忠久になったとしていますが、これは、さすがに怪しいです。



他家に嫁いでいた八重姫は、1180年、父・伊東祐親が伊豆を留守しているあいだに、宇佐美(伊東竹の内の別館)から抜け出し、源頼朝が身を寄せていた、伊豆・北条荘北条時政を、待女6名を連れて訪ねたとあります。
しかし、源頼朝は、すでに北条政子と結婚していたため、会うことが許されず、追い返されました。
そして、絶望した八重は、屋敷からそんな遠くなく、雨で増水していたい、真珠ヶ淵に身を投げて、命を絶ったとされます。
<注釈> 別の説では、生きているともありますが、ここでは、亡くなった説にて、引き続きご説明致します。

侍女らは、村人の手を借りて、八重姫の遺体を引き上げると、近くにあった満願寺(江戸時代後期の1867年に廃寺)に葬り、供養してから、宇佐美に戻ろうとしました。
<注釈> 八重姫が身を投げた際に、侍女も運命を共にしたともあります。(侍女全員ではないかも?)



悲しみに暮れる侍女らは、北條道を登って、田中山の峠(四つ辻)まで来た際に、楓と言う侍女が「姫様の後を追う」と言い出しました。

むごい仕打ちで、千鶴丸様を殺した、伊東のお館には帰りたくない。千鶴丸様に先立たれ、頼朝様にも裏切られた、姫様がおいたわしい。

こうして、峠では、侍女5名が、命を絶ったと言われています。
姫の遺髪を胸に、月光のもと、大仁・田中山にある、松の根もとで、自害したと伝わります。

女塚

ただし、ひとりは、連絡役となって、葛見荘(伊東荘)へ知らせに走ったとあります。
話を聞いた、伊東祐親の家臣が、峠に駆けつけますが、既に、皆、息絶えていたそうで、村人は侍女たちの死を悼んで埋葬し、峠に墓石を立て、供養し続けたと伝わります。

女塚

これらのことから、八重姫の死を悲しみ、自らの命を絶った5人の侍女の墓が「女塚」と言う事になるかと存じます。
現在は、女塚史跡公園として整備されております。

交通アクセス

行き方・交通アクセスですが、伊豆箱根鉄道の田京駅から、タクシーで約15分となります。



山の中で、カーブも多く、道路も1.5車線といった感じですので、徒歩や自転車は、少し苦労するかと存じます。
トイレもありますが、あまり、入りたくない雰囲気のトイレになっています。
無料駐車場が、北側の少し離れた道路わきに、ありました。

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