千葉県の大喜多城の城下町の南端に、良信寺(良玄寺)があります。
本多忠勝が1595年に照誉了学を招いて創建した寺で、当初は本多忠勝の法号から良信寺でしたが、子・本多忠朝が死去すると、忠朝の法号から良玄寺と改名しました。
あの有名な本多忠勝の肖像画「紙本著色本多忠勝像」は、この良玄寺が所有しているもので、現在は、大喜多城(千葉県立中央博物館大多喜城分館)託されています。
そのため、大喜多城ではこのページトップにもある本多忠勝を見る事ができます。
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下記は良玄寺にある本多家墓所(本多忠勝の墓、本多忠朝の墓)です。
中央が本多忠勝の墓、左が本多忠朝の墓、右が本多忠勝夫人とありますが、本多忠朝を生んだ側室の阿知和右衛門玄鉄の娘(見星院)と言う事でしょうか?
大阪天王寺の一心寺にある本多忠朝の墓は大変有名ですが、そこから分骨されています。
なお、本多忠勝の墓は本人の遺言により、ここに分骨されているとの事です。
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良玄寺の場所・交通アクセスですが、下記の地図ポイント地点に境内無料駐車場があります。
北側の県道から細い道を南下して行くと良いです。
本多家の墓所は、良玄寺の本堂から右手の外側の道(トイレがある公園「忠勝公園」)の奥に進むとあります。
圏央道も繋がり、大多喜城へも大変行きやすくなりましたので、東京や関東から是非訪れてみて下さい。
観光所要時間は資料館も見学して30分~40分といったところです。
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