三条天皇を1分でわかりやすく要点解説【光る君へ】藤原道長に抵抗した天皇

三条天皇

三条天皇とは

三条天皇 (さんじょうてんのう) 平安時代中期の第67代天皇。
父は冷泉天皇で、その第2皇子として976年に生まれ、居貞親王(おきさだしんのう)と呼ばれた。
母は藤原超子(摂政太政大臣・藤原兼家の長女)で、花山天皇の異母弟になる。

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の木村達成さんが三条天皇を演じられる。

7歳の時に母を亡くし、父・冷泉上皇は精神的な病を患っている。

986年、花山天皇が出家し懐仁親王(一条天皇)に譲位した際に、藤原兼家の後押しで11歳の居貞親王が皇太子となった。

989年、藤原兼家の娘で叔母に当たる藤原綏子が入内。
991年、右大臣・藤原済時の娘である藤原娍子(ふじわら の せいし) が入内し、994年には敦明親王を儲けている。
995年、藤原道隆の娘である藤原原子が入内。
しかし、藤原綏子と藤原原子は早世している。

1004年、冷泉天皇の第4皇子・敦道親王が和泉式部を邸宅に住まわせたため、藤原娍子が敦道親王の正妻であった妹(藤原済時の娘)を引き取っている。

1010年、藤原道長の次女である藤原妍子(ふじわら の けんし) が皇太子・居貞親王(のちの三条天皇)に入内。

1011年、危篤となった一条天皇から譲位され、36歳の居貞親王は三条天皇として即位した。
藤原道長が政権を掌握しており、皇太子には中宮・藤原彰子の子である敦成親王(後一条天皇)が立っている。

1012年、藤原道長の次女・藤原妍子が中宮になったが、三条天皇は長年の妻である藤原娍子を皇后としたので、二后並立状態となった。
藤原道長は藤原娍子の儀式を妨害するなど、三条天皇との対立を深めている。
1013年、藤原妍子が禎子内親王を出産。
1014年、三条天皇は眼病を患い、視力を失ったとされ、更に脚気(かっけ)が加ったようだ。

1016年、在位4年余の三条天皇は皇后・藤原娍子の子である敦明親王の立太子を条件に、藤原道長の勧めに応じて一条天皇・第二皇子である後一条天皇に譲位。

翌寛仁元年(1017年)4月に出家し三条天皇は崩御。42歳。
陵は京都市北区衣笠の北山陵。


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敦明親王は藤原道長の圧力にて自ら東宮を辞退して天皇の座を諦めた。
藤原道長の長女・中宮彰子が産んでいた一条天皇の第2皇子・敦成親王が8歳で即位して後一条天皇となり、摂政の宣下を受けた藤原道長が権勢を振るっている。
なお、敦明親王は准太上天皇とし(院号は小一条院)とし、藤原道長は娘・藤原寛子を嫁させ優遇した。
1018年、後一条天皇が11歳になると、藤原道長は3娘・藤原威子を女御として入内させ中宮にしている。

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