岩倉具視 維新の十傑のひとり

岩倉具視 維新の十傑のひとり

岩倉具視(いわくらともみ)は、幕末には倒幕に協力した公家で、明治政府では今でいう外務大臣を務めた維新の十傑のひとりです。
権中納言・堀河康親の次男として京にて生まれましたため、14歳で岩倉具慶の養子になりました。
しかし、岩倉家は公家の中では官位も低い下級公家で、貧乏な部類となります。
孝明天皇の侍従として、江戸幕府と「公武合体」を推進し、仁孝天皇の皇女・和宮を、徳川14代将軍・徳川家茂の正室としました。
このように幕府寄りの姿勢を取ったため、尊攘派の久我建通らによって、38歳のときに宮中から追放され、洛北の岩倉村にて謹慎しています。
このとき、坂本竜馬、中岡慎太郎、大久保利通、西郷隆盛らの訪問を受け、15代将軍・徳川慶喜が長州征伐を繰り返すと、薩長両藩に討幕の密勅を下しています。
孝明天皇が崩御し、15歳で明治天皇が即位すると、薩長の軍事蜂起を察知した徳川慶喜は、大政奉還にて、政権を朝廷に返上しました。
このときの朝議から岩倉具視は許されて復帰すると、王政復古の大号令の案を奏上し、岩倉具視は新政府の参与となりました。
また、幕府には領地返納を求めましたが応じないため、幕府を武力で討伐する大義を得ます。
そのとき、徳川慶喜は突然、軍勢を動かして京都へ進軍開始し、薩長らと鳥羽伏見の戦いになった訳です。
岩倉具視は朝廷に働きかけて、幕府軍を朝敵とし、錦の御旗の用意にも貢献しました。
幕府軍が敗走し、徳川慶喜が江戸城に逃げると、倒幕を推し進めた岩倉具視の発言力は高まりました。
明治新政府においては、三条実美が各省を統括する行政責任者の右大臣となり、岩倉具視はその補佐役の大納言に就任し、版籍奉還、廃藩置県にも奔走し、外務卿(外務省長官)も兼任しています。
そして、徳川幕府が結んだ不平等条約・日米修好通商条約は条約改正に向けて、欧米各国を視察することになり、岩倉具視が全権大使となり岩倉使節団が派遣されました。
日本に帰国すると、鉄道の開通に向けて積極的に動いています。
征韓論では大久保利通らと反対の立場を取り、のち西郷隆盛の西南戦争が勃発することになりますが、岩倉具視は土佐の旧士族から襲撃されケガもしています。
なお、民権運動に対して明治憲法の制定に努め、天皇を中心とした基本方針を定めました。
明治16年、食道癌により59歳で没すると、国葬になっています。

岩倉具視の名言・格言に下記のような言葉があります。

成敗は天なり、死生は命なり、失敗して死すとも豈(あに)後世に恥じんや

大政奉還、王政復古と緊迫していたときの言葉ですが、意味としては、生きるか死ぬかは運命であり、事の成就が失敗してもそれは天命であり、恥じることは無いと言う感じでしょうか?
このように、命がけで、皆様、仕事をしたことがありますか?
命がけで、行動できる人は、やはり強いです。

>大河ドラマ・映画などで岩倉具視を演じた俳優さん

※敬称略

二谷英明『竜馬がゆく』(1968年、NHK大河ドラマ)
林昭夫『勝海舟』(1974年、NHK大河ドラマ)
西本裕行『花神』(1977年、NHK大河ドラマ)
鈴木瑞穂『竜馬がゆく』(1982年、テレビ東京12時間超ワイドドラマ)
島田順司『大奥』(1983年、フジテレビ)
佐藤慶『田原坂』(1987年、日本テレビ年末時代劇スペシャル)
小林稔侍『翔ぶが如く』(1990年、NHK大河ドラマ)
原田大二郎『勝海舟』(1990年、日本テレビ年末時代劇スペシャル)
寺脇康文『徳川慶喜』(1998年、NHK大河ドラマ)
木下ほうか『竜馬がゆく』(2004年、テレビ東京新春ワイド時代劇)
中村有志『新選組!』(2004年、NHK大河ドラマ)
片岡鶴太郎『篤姫』(2008年、NHK大河ドラマ)
小堺一機『八重の桜』(2013年、NHK大河ドラマ)
笑福亭鶴瓶『西郷どん』(2018年、NHK大河ドラマ)

※他にもありましたら、コメント欄よりのお寄せ願えますと幸いです。

(参考)

岩倉具視の解説 倒幕と明治新政府に貢献した公家

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