湯河原「しとどの窟」(しとどのいわや)の詳細解説~見学所要時間や遊歩道ルート状況

しとどの窟

しとどの窟(しとどのいわや)は、神奈川県湯河原町の相模・土肥城跡からほど近いところにある、標高約535m地点にある沢付近の洞窟です。
土肥椙山巌窟とも言います。
なお「しとどの窟」と言う洞穴が2箇所ありまして、もう1箇所は、真鶴の漁港に近い場所となります。
いずれも、1180年、石橋山の戦いにて敗れた、源頼朝らが、一時、退避した洞窟とされます。
この記事では、山中にある、湯河原のしとどの窟をご紹介申し上げます。

土肥椙山巌窟(しとどの窟)への行き方

しとどの窟バス停付近(椿台)は、標高590mくらいです。
湯河原の街から車で25分ほどですが、海抜0mから、急激に高いところになっていると言えます。
椿台には、駐車スペースと、トイレがあります。
椿台レストハウスと言う建物もありますが、売店などがある訳ではなく、休憩所として使えるようです。

椿台

このレストハウスしたの道路をそのまま進むと、トンネルがあります。
一瞬心細くなりますが、トンネルを抜けると、右側に広場があり、しとどの窟への登山道(遊歩道)の出入口があります。

しとどの窟への入口

上記写真の中央が、しとどの窟への入口(山道)となります。
道を下って行くと言う感じですが、概ね「舗装」されており、安心して歩けます。

しとどの窟への行き方

石灯籠が続く参道で、行きは「下り坂」と言う事になります。
階段になっている箇所は、最後のほうだけでして、90%は、舗装された下り道でした。

しとどの窟への行き方

雨上がりなどは、滑りやすいかも知れません。
晴れていても、最低限、滑りにくい靴だと良いかと存じます。

しとどの窟への行き方

写真のような状態の道を、ずっと降りて行きます。
七曲ではないですが、数えましたら、カーブは5箇所ほどありました。

しとどの窟への行き方

当初、ここまで、下がるとは、想定外でした。
このように、つづら折りの下り坂が、約500m続きます。

しとどの窟への行き方

ただし、木々にて遮られ、直射日光を浴びることは無いです。
下記の写真は、しとどの窟への分岐点でして、標高525mくらいです。
しとどの窟へは、左の岩をかすめるように、まっすぐ進みます。

しとどの窟への分岐点

岩が迫ってきていますので、迫力も感じます。
ただ、上記の分岐からは、今度は、登り返す感じでした。


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私が、あまり登山をしたくない最大理由の、下って、登ると言う、一番、イヤなパターンですが、頑張って登ります。
巨石を撒いて登ること2分で、標高535mの地点が「しとどの窟」と言う事になります。

しとどの窟への行き方

余りにも想定外の上り下りでして、標高に関しては、帰ってから調べました。
超正確という事ではなく、山地図などで確認した標高となりますので、だいたいと解釈願えますとさいわいです。
沢沿いに出たと言う感じでして、ここまでくれば、あとちょっとです。

しとどの窟への行き方

広場から、下る事約10分、ようやく、しとどの窟に到着致しました。
名前の由来としては「シトト」と言われる鳥が急に飛び出してきたので、誰もいないだろうと、追っ手の武将がかばったからともされます。
洞穴の手前には、案内板などがあります。

湯河原「しとどの窟」

しとどの窟には、たくさんの石仏が置かれていました。
大小20体余りの石仏があるそうでして「土肥椙山観音像群」と呼ばれます。
洞窟の近くでは、落石にご注意願います。

湯河原「しとどの窟」

土肥椙山巌窟(しとどの窟)ですが、単なる洞穴ではなく、確かに空洞になっているのてすが、真ん中に、上から4本の白い筋となって、水量が少ない「滝」のような風情にもなっていました。
写真では、わかりにくいので、短い動画も撮影してみましたので、よければ、下記もご参照賜りますと幸いです。

高千穂にある天安河原と比べますと、天安河原は、川の脇にある感じですが、湯河原のしとどの窟は、まさに山中にあります。
穴の大きさは、しとどの窟のほうが小さく、中には10名くらいしか、滞在できないと感じるくらいの広さでした。
900年前から、滝のように、湧き水が、流れ落ちていたのか?は、わかりませんが、もし、昔から流れているようでしたら、少し「音」が気になります。

山中を捜索する場合、手がかりのひとつは「音」です。
水が落ちる音がしますので、近くまできた、捜索側は、その場を確かめに来てしまうと思います。
隠れている源頼朝側は、見張りでも立てていればよいですが、ここにいては、発見されるのも、時間の問題だと感じました。
何か相談したり、会話するのには、話し声が、かき消されて、最適ではありますが・・・。


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さて、土肥椙山巌窟(しとどの窟)への行程ですが、あとで、調べましたら、行きは、高低差約65m下って、約10mの高低差を今度は登ると、到着すると言う感じです。
合計高低差約75mの上り下りと言う事になり、帰り道、運動不足の体には、結構、こたえました。
正直、また、行きたいとは、あまり感じません。

しとどの窟への行き方

見学所要時間ですが、帰り道(登り)で、登山口(遊歩道口)まで、徒歩10分かかりました。(椿台からだと片道20分くらい)
今回、訪れたのは10月の平日でしたが、往復、誰にも会いませんでした。
なお、霊感が強い方は、よくご検討のほど、お願い申し上げます。

源頼朝の逃避行

一般的に、石橋山の戦いにて大庭景親らに敗れた源頼朝らは、土肥実平の案内にて土肥郷椙山に逃げ込み、ここの岩屋「しとどの窟」にて休息したようです。
その際に、源頼朝は髷の中に入れていた「観音像」を岩窟の中に安置したと伝わります。
<注釈> その後、この観音像は回収されて、鎌倉に持ち込まれ、源頼朝の持仏堂(法華堂)の本尊となっています。


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また、土肥実平の妻・土肥の女房が、「しとどの窟」に食糧を運んだともされます。
追っ手の梶原景時飯田家義は「しとどの窟」に、源頼朝らが隠れていると察しましたが、「この山には人はいない」と、大庭景親に報告したともされます。

土肥椙山巌窟(しとどの窟)

その後、箱根権現(箱根神社)の永実が、北条時政と共に弁当を届けてくれたので、その永実の案内で、一旦、芦ノ湖の湖畔にある、箱根権現(箱根神社)へ逃れた模様です。
箱根権現の別当・行実は、源頼朝を匿おうとしましたが、智藏房良暹が裏切り、襲撃する可能性が出たため、逃げた方が良いと言う事になります。
そして、土肥実平らと真鶴に降りて、岩海岸(岩海水浴場)にある「しとどの窟」にて一夜を明かし、船で東京湾を横断して、安房国(房総半島)へ脱出したと伝わります。
船は、土肥実平の命にて、土肥の住人・貞恒が用意したとれさます。
この船出に従ったのは、安達盛長岡崎義実新開忠氏土屋宗遠、土肥実平、田代信綱とされます。
ただし、岡崎義実は、北条時政・北条義時・近藤国平らと先行して前日に出航した可能性があるようです。
出航した翌日には、平北郡の猟島(鋸南町竜島付近)に上陸し、先に到着していた北条時政らが出迎えたとあります。
上陸地点は諸説あり、館山にも源頼朝公上陸地があります。


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衣笠城の戦いにて、三浦義明が討死しますが、三浦義澄和田義盛など、三浦一族も、安房へ船で逃れて、源頼朝と合流しました。
安房・神明神社にしばらく滞在する間、源頼朝は上総広常に手紙を書いたともされます。

感覚的には、源頼朝らは、館山に上陸し、三浦一族が鋸南町に上陸したのではと感じます。
源頼朝は、館山にある安房国一の宮・洲崎神社を参詣したとも、仁右衛門島に隠れていたともされます。

交通アクセス

湯河原・しとどの窟

湯河原・しとどの窟(山の中)への行き方ですが、東海道本線の湯河原駅から、伊豆箱根バスの元箱根行きに乗車して、カーブの多い山道を登ること所要40分、しとどの窟バス停下車して、舗装路を下り、トンネルを抜ける事、徒歩20分となります。
バスは一方通行と申しましょうか?、元箱根行きだけでして、湯河原駅方面のバスはありません。
なお、運転手不足で、箱根登山バスは廃止となったようです。
また、共同運行だった伊豆箱根バス(湯河原箱根線)も長期「運休」となっておりまして、執筆時点では、バスが走っていませんので、最新情報をご確認願います。

タクシー利用の場合、湯河原駅から12kmありますので、タクシー料金は片道5000円くらいになると存じます。
湯河原駅から奥湯河原までは、1時間に4本くらいバスがありますが、奥湯河原から、道路の車線もちょっと狭めで、歩道はなく、バイクも結構多く走っているため、車道を徒歩で登るのをお勧めできません。
どうしても、徒歩で向かう場合には、軽登山の装備で、山地図を利用し、幕山公園のほうから山道を登った方が、良いかと存じます。


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クルマの場合、駐車スペースがありますので、便利です。
ただ、到着するまで、カーブは多いので、クルマに酔いやすい方がいる場合には「酔い止め」を。
繰り返しの案内になりますが、椿台のレストハウス(売店がある訳ではない)付近に、トイレと駐車スペースがあり、土肥城や、幕山への登山口になっています。
ただし、しとどの窟へ行く場合には、レストハウス下の道路をそのまま進み、トンネルを抜けた先まで、クルマの通行が大丈夫になっています。
トンネルを抜けたところが、広場になっていて、しとどの窟への降り口があり、その部分に、5台ほど、駐車可能です。
当方のオリジナル地図でも広場をポイントしております。

湯河原駅前は、土肥氏館跡になります。
また、城願寺もありますので、セットでどうぞ。

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