石橋山の戦い(石橋山古戦場)「詳しい場所」駐車場・交通アクセス解説

石橋山古戦場

詳しい交通アクセス

石橋山古戦場への行き方・アクセスを、出来る限り詳しくご案内申し上げます。
石橋山の戦いは、現在の神奈川県小田原市石橋にて、平安時代末期の1180年8月23日に、合戦となりました。
下記写真、中央付近が、石橋でして、大庭景親らが進軍した際に見たのと同じ風景となりますが、現在の国道と違い、鎌倉時代から明治に掛けては、海岸沿いに道はなく、ちょっと山に入った細いクネクネ道が、街道だったようです。

石橋山古戦場

そのため、伊豆での往来も、船で移動することが多いのですが、天候の問題や、大軍になると陸上移動となるため、狭い街道で、源頼朝らは、大軍を待ち受けたと言えます。

電車・バスの場合

バスの場合には、小田原駅の東口から、箱根登山バス「江之浦・湯河原駅」行きに乗車して、所要17分、石橋バス停下車して、850m、徒歩15分になります。
ただ、執筆時点で、路線バスは平日のみの運行で、土日祝は運転が無いようですので、最新のダイヤをご確認願います。
土日にバス運行がない理由としては、石橋が、渋滞の名所でもあるためと考えられます。
徒歩で向かう場合には、早川駅から約2.4km、徒歩40分くらいの距離です。
タクシー利用の場合には、早川駅から「石橋の佐奈田霊社まで」と申し出ると良いでしょう。


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将来的には、高波での通行止と、渋滞軽減のため、石橋付近は、トンネル化での新バイパス化も、検討されています。

クルマの場合

佐奈田霊社の参拝者用駐車場(約20台)を、参拝がてら利用できます。
しかし、アプローチの道路は急坂で補足、国道から入る場所も、初めてだとわかりにくいですので、下記の説明をご参照頂けますと幸いです。
また、国道135号としても、一番交通量が多い区間でして、こんなところで、自動車が曲がるとは考えていないため、急な右左折は危ないです。
早めにウインカーを出して頂けますよう、お願い申し上げます。


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まず、方向ですが、石橋山に向かう場合には、小田原から湯河原へ向かう南下で、石橋山古戦場に向かう事を、強くお勧め申し上げます。
国道に接続する道路の「角度」の問題で、小田原方面に走行中、左折で入ると曲がり切れないです。
困難と言うより、本線を塞ぐ恐れがあるため、追突事故などにあう可能性が出てしまいます。
そのため、湯河原方面への走行途中で「右折ラインのあるところ」から、右折することを、強くお勧め申し上げます。
それでも、若干、見通しが悪いですので、無理して、右折しないよう、ご注意願います。
また、安全に訪問するためには、カーナビ設定、必須です。
当方のオリジナル地図でも、ナビ機能がありますので、ご活用頂けますと幸いです。

地図を見ながら、ご確認頂けると良いのですが、石橋の南の方に「米神漁港」があります。
その米神漁港のちょっと上に、湯河原方向に走っていると「右折ライン」がある場所がありますので、その右折ラインを使って交通障害とならないよう、右折します。
1.5車線の坂道を登って行き、最初の交差点を右折します。
しかし、右折は、切り返ししないと、曲がり切れないと思いますが、切り返せば、曲がれます。
そして、北上していくと、やがて、左手に東海道本線の線路が見えます。


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線路が見えたら、その先に建物がある箇所(狭い交差点)を、左折して、クランクする感じで、1.3車線の急坂を登って行きます。
運が悪くなければ、まず、対向車に合う事はないかと存じます。
坂の途中、右側に石橋山古戦場の石碑があり、その先に、駐車場があります。

石橋山古戦場

駐車場についたら、そのまま坂道を歩いて登って、先に佐奈田霊社をお参りしましょう。

佐奈田霊社

冬でも比較的、温暖なところですので、道路凍結の心配は、あまりないと存じます。

石橋山古戦場の周り方

石橋山古戦場の見どころは3つあります。
一つ目は「与一塚」で、佐奈田霊社(さなだれいしゃ)の境内にあり、討死した佐奈田与一を埋葬した場所とされます。(享年25)

与一塚

佐奈田与一が、俣野景久と組み伏せたのが「ねじり畑」で、長尾定景により討ち取られました。
今でも、ミカン畑になっているようです。

ねじり畑

文三(陶山文三家康)は郎党で、稲毛重成の手勢に討たれており「文三堂」として祀られています。
文三堂は、若干、小高い場所に社があります。

文三堂

吾妻鏡によると、1190年1月20日、伊豆権現(伊豆山神社)を参拝したあと、源頼朝は佐奈田霊社となっている与一塚と、文三の墳墓を訪れ、涙を流したとあります。

文三堂

見学所要時間は、文三堂も含めて15分~30分程度です。
佐奈田霊社は、夏場、蚊が多いので、虫除けがあるとベストです。


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一番最初は、佐奈田霊社をお参りすることをお勧め申し上げます。
神社がある場所は、道路よりも高い位置にあり、道路(当時の街道)が、巻いていますので、恐らく、神社がある場所を、源頼朝の軍勢は本陣にしていたと推測できます。
佐奈田霊社には、佐奈田義忠(佐奈田与一義忠)の「与一塚」などがあります。

与一塚

佐奈田霊社を参拝したあと、元の道に戻るのではなく、参道階段を降りて行き、道路に出たら右にちょっと行き、二股を左に進むと丘の上に文三堂があります。
文三堂からは、道路を戻って、階段は登らず、そのまま道路を進めば、石碑の場所にでます。
その途中、みかん畑越しに、東海道線の線路や、相模湾を望む展望の良いところを歩きます。
まさに、下記の写真にある細い道路にて、戦闘があったと言う事になります。

石橋山古戦場

箱根と違い、温暖なところですので、冬でも凍結することは、ほとんどないです。(前の日に雪が降った場合にはご注意を)

帰り道は、国道に出る道路の構造上、小田原方向に向かったほうが無難です。
もし、湯河原方向に向かう場合には、国道に出て無理に右折せず、一旦、小田原方向に走行して、途中、どこかの道路などに入ったりして、Uターンすることを、強くお勧め申しあげます。
以上、事故防止を優先し、お気をつけてお出かけ頂けますと幸いです。

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