岡崎・大樹寺とは~徳川家康が桶狭間の戦いのあと登譽上人から励まされた菩提寺

岡崎・大樹寺

岡崎・大樹寺

大樹寺(だいじゅじ) は、愛知県岡崎市鴨田町にある浄土宗の寺院で、徳川氏(松平氏)の菩提寺になっている。

創建は1475年で、安城松平氏第4代当主・松田親忠が建立した。
その前身として、1467年に近くであった井田野の戦いにて亡くなった死者を弔うため「千人塚」が築かれていたと言う。
しかし、塚が振動したり、悪病が流行したため、悪霊を封じた僧侶・勢誉愚底(せいよぐてい) を開山としたようだ。

以後、松平家の菩提寺となり、戦国時代の1535年には松平清康が再興し、一層方形二層円形の多宝塔が建立された。(国の重要文化財)

岡崎・大樹寺

大樹寺から岡崎城へは道路がまっすぐに伸びており、総門から岡崎城が見える設計になっている。

1560年、桶狭間の戦い今川義元が討たれると、大高城にいた19歳の松平元康(徳川家康)は手勢18名を連れて岡崎に帰還すると大樹寺に入ったと言う。
そして、先祖である松平八代の墓前で自害しようとしたが、第13代住職・登誉天室に止められて、生きる決意をしたとされる。
こうして、山田景隆が退散したあとの三河・岡崎城に入場したとされる。

1576年、水野信元が武田家の秋山信友と内通したり、兵糧を武田勢に送った嫌疑がかかり、織田信長から命を受けた徳川家康は三河・大樹寺に、水野信政と水野信元を呼びている。
このとき、徳川家康に頼まれて水野氏を案内したのが久松俊勝
そして大樹寺にて平岩親吉が水野信元を殺害した。
何も知らなかった久松俊勝は「徳川殿を深く怨む」として、上ノ郷城(西郡城)にて隠居したと言う。
於大の方と子らは、徳川家康が引き取っている。


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境内や本堂は無料の自由拝観だが、国の重要文化財である多宝塔や宝物などは有料拝観で所要30分となる。

大樹寺の御朱印には「厭離穢土欣求浄土」(お〈え〉んりえどごんぐじょうど)という8文字が記載されるようだが、第13代住職・登誉上人の言葉とされ、徳川家康の自刃を思い留めさせた文言だと言う。
<注釈> 小生は御朱印も御城印も100名城スタンプも行っていないので詳しくは不明。

交通アクセス

岡崎・大樹寺への行き方・交通アクセスだが、愛知環状鉄道の大門駅から徒歩10分。
駐車場は30台・無料で広く取られているので訪問しやすい。
※2023年より駐車場は有料になった模様。

大樹寺の駐車場入口は、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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