水野忠政が築城した「刈谷城」わかりやすい解説~於大の方「椎の木屋敷」

刈谷城

刈谷城とは

刈谷城(かりやじょう)は、愛知県刈谷市城町にある平山城・海城で別名は亀城。
今は川のように見えるが、かつては衣ヶ浦(ころもがうら) と言う深く入り込んだ入江(現在の境川及び逢妻川)であり、その岸辺に築城されたと言う。
最初の築城は戦国時代の1533年とされ、水野忠政が築いた。

刈谷城

もともと水野氏は尾張・緒川城を中心に大高城、常滑城、亀崎城、宮津城、鷲塚城などを支配していた。

水野忠政

水野忠政(みずの ただまさ)は戦国時代の武将で水野清忠の子として1493年に生まれた。
この頃の水野氏は基本的に今川義元に従っており、尾張・古渡城織田信秀とは対立していた。
ただし、水野忠政は織田信秀の西三河進攻に協力しつつ、脈略を保っている

刈谷城

1528年、妻・華陽院(於富の方)との間に娘・於大の方が、緒川城にて誕生。

1533年、刈谷城を築城。

1541年、三河・岡崎城松平広忠は、織田信秀に安祥城を奪われたのを契機に、織田氏とも親しい水野氏と親睦を図ることが賢明と考え、水野忠政の娘である於大を妻に迎えた。

1543年、於大の方が徳川家康を産む、また水野忠政は死去。
家督を継いだのは水野信元だが緒川城を本拠とした。
刈谷・水野氏を継いだのは水野信近(水野忠政の3男)となる。

1544年、家督を継いだ水野信元は今川義元に反旗を翻し織田信秀に味方したので、於大の方は3歳の竹千代を残して松平氏から離縁され、刈谷城近くの「椎の木屋敷」に戻った。

椎の木屋敷

椎の木屋敷は、この付近に大きな椎の木が何本もあったことから、そのように呼ばれていたと言う。

椎の木屋敷

江戸時代には聖地とされ立入禁止で、中には数基の五輪塔と地蔵尊などがあったとされる。

椎の木屋敷

椎の木屋敷がある場所は、オリジナル地図「名古屋・北陸」方面でもポイントしている。
地図内の検索窓から「椎の木」と探してみて頂きたい。

さて、1547年、於大の方は阿久比の久松俊勝と再婚し、椎の木屋敷を離れると坂部城に入った。

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、水野信元は大高城にいた松平元康(徳川家康)に脱出を勧めた。
ただし、駿河に戻る今川勢の岡部元信が刈谷城を攻撃したようで、水野信近(水野十郎左衛門)が討死。享年36。
その後、兄・水野信元が刈谷城を奪還し、遺児の水野信政(水野元茂)は水野信元の継養子となっている。(水野信元には実子を失っていた)


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1562年、水野信元は独立した徳川家康を助けて、織田信長との清洲同盟成立に尽力した。
その後、水野家は三河一向一揆の際に松平元康を支援し、織田勢として三方ヶ原の戦い長島一向一揆との戦いなどに参じている。

1567年頃、家督を養子の水野信政(水野元茂)に譲って水野信元は隠居。

1575年、武田勝頼三河・吉田城を攻撃した年、水野信元は織田信長から武田氏への内通を疑われ、逃亡すると徳川家康を頼った。
容疑は、美濃・岩村城秋山信友に兵糧米を売ったとされている。
そして、織田信長の命を受けた徳川家康により殺害された。
家督を継いでいた水野信政も殺害され水野氏は断絶した。

刈谷城には佐久間信盛が入っている。

1580年8月、佐久間信盛が織田家を追放されると、亡き水野信元の弟・水野忠重が織田信長から刈谷城を与えられた。
この水野忠重は、一貫して織田家の陪臣となって武功も挙げていたので信頼されたようだ。
こうして水野忠重が水野家当主となり、織田信忠の軍団に組み込まれた模様だ。
なお、水野忠守(水野忠政の4男)は尾張・小河城(緒川城)を与えられ、江戸時代の子孫としては天保の改革を主導した水野忠邦など老中を輩出している。

1582年6月、本能寺の変の際に水野忠重は織田信忠に従い京の妙覚寺あたりにいたと考えられるが、難を逃れて京都に潜伏したあと刈谷城に戻っている。
その後は、北畠信雄(織田信雄)に属したが、織田信雄が羽柴秀吉と和解すると豊臣秀吉に従うようになった。


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1590年、小田原攻めのあと、水野忠重は伊勢・神戸城4万石に移封となった。
しかしほどなくして水野忠重は刈谷城に復帰すると、豊臣秀吉の死後は徳川家康に従った。
しかし、関ヶ原の戦い直前に石田三成の家臣で、美濃・加賀野井城主の加賀井重望から西軍に誘われるも断ったので口論となり殺害されている。
水野忠重、享年60。

そのため、徳川家康に従軍していた水野勝成(水野忠重の嫡男)が三河・刈谷3万石の跡目相続を命じられた。

江戸時代の1615年、大坂の陣で武功を上げた水野勝成は、大和・郡山城6万石となって刈谷城を後にした。
その後、刈谷藩は深溝松平氏、久松松平氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏、土井氏と目まぐるしく変わっている。

刈谷城

現在の刈谷城跡は亀城公園として整備されており、春には桜の名所にもなっている。

交通アクセス

刈谷城への行き方だが、刈谷市駅から1.1km、徒歩15分くらいの距離。
駐車場は亀城公園の無料駐車場が何箇所かあり困らない。
当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」では、最寄りの駐車場入口をポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

もちろん、緒川城とセットでどうぞ。

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