鶴嶺八幡宮の簡単でわかりやすい解説~駐車場場所なども

鶴嶺八幡宮

鶴嶺八幡宮とは

鶴嶺八幡宮(つるみね はちまんぐう)は、神奈川県茅ヶ崎市浜之郷にある神社で、別名は鶴嶺八幡社とも言います。
神社の中は、創建が不明であったり、歴史がよく判明していない社も多いのですが、鶴嶺八幡宮はハッキリとわかっています。
最初の創建は、平安時代の1030年9月で、河内源氏の源頼信と、子の源頼義が、平忠常による下総の乱を鎮圧するため関東に進軍します。
そして、源頼義は懐島郷に入ると、源氏の守護神・石清水八幡宮を勧請して、戦勝祈願したのが、鶴嶺八幡宮の始まりとされます。
だいたい「八幡宮」と名のつく神社は、どこも源氏に関連するものが多いです。
ただし、当初は、現在の浜之郷ではなく、懐島郷の矢畑村にありました。



その後、1063年、前九年の役を制圧した、源頼義によって、懐島八幡宮は、鎌倉に移転となり、現在の鎌倉・由比にある「元鶴岡八幡宮」と変わっています。
そのため、懐島八幡宮は「本社八幡」と称しました。

ちなわち、現在ある鎌倉の鶴岡八幡宮の元祖が、懐島八幡宮とも言えます。

1085年、後三年の役に出陣した際にでしょうか?、源頼義の嫡男・八幡太郎義家(源義家)が、領地を寄進し、懐島郷の隣の浜之郷(現在地)に鶴嶺八幡宮を創建した。
すぐ西側は、旧相模川となっており、源義家が、戦勝を祈願して自ら植えたという大銀杏(樹齢950年)が、境内に現存しています。

鶴嶺八幡宮の大銀杏

その後、源頼朝鎌倉幕府を起こすと、懐島郷の領地が、鶴嶺八幡宮に寄進されています。
1190年には、肥後国有為荘700貫が鶴嶺八幡宮に寄進されており、懐島権守・平景能が社殿の修復を開始したとあります。
この平景能なる武将は、懐島館大庭景義のことになります。



1191年、大庭景義によって、大仏殿、三重塔などが完成し、鶴嶺八幡宮が再興されました。
元寇の危機になると、1281年から、蒙古退散の祈祷が行われ、勝利したのを記念して、現在でも毎年6月30日には、晦日祭が行われています。

鶴嶺八幡宮

戦国時代、1590年、豊臣秀吉小田原攻めにて、北条氏直が没落すると、鶴嶺八幡宮は、社領を失い、荒廃したとあります。
ただし、江戸城に入った徳川家康からは、7石の寄進を受けているようです。

江戸時代には、浜之郷村の領主・山岡景信の尽力にて、社殿が再建されたともあります。

鶴嶺八幡宮

東海道(現在の国道1号)から参道が約760mほど伸びており、入口に大きな赤い鳥居が建っています。
その鳥居近くにある民家の奥の方には、弁慶塚もあります。

下記の「女護が石」は、願い事を念じながら、石の肌をさすったあと、自分の身体をなでると、病気が治って、願い事は成就するとされ、女性の守護神として信仰されているようです。

女護が石

珍しいですが、厄割石と言う、かわら投げもあります。
近距離なので、当たりそうです。



御朱印は、授与所にて頂けますが、閉まっている際には、本殿の賽銭箱付近に書置きがあり、1社500円にて頂けます。
鶴嶺八幡宮、淡島神社、鉾宮神社と、三社分の御朱印があるようです。

鶴嶺八幡宮

鶴嶺八幡宮は、現在の分類では神社ですが、鐘楼(神社の場合、宮鐘と言う)もあるのは、神仏習合の名残りと言えます。

鶴嶺八幡宮

国道1号沿いの大鳥居からは、源頼朝が、落成式に出席したとも考えられている、旧相模川橋脚が発掘された地点から、さほど、遠くありません。
その相模川から帰り道、鶴嶺八幡宮を参拝して、鎌倉に戻る途中、源頼朝は、源義経源行家らの亡霊が現れ、辻堂で落馬し、その後、亡くなったと言う事になります。

交通アクセス

鶴嶺八幡宮への行き方ですが、最寄り駅は茅ヶ崎駅で、距離2km、徒歩30分くらいになります。



鶴嶺八幡宮の駐車場は、本殿がある敷地の南側を横切る道路が、広くなっており、その路肩に、数台、止めて良いみたいです。
初詣でも、賑わいそうなところです。

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