吾妻鏡はいつ作られたのか?内容と特徴を手短に解説

吾妻鏡

吾妻鏡とは

吾妻鏡(あずまかがみ)は鎌倉時代に編纂された歴史書で、内容は鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の話から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記となっている。
鎌倉幕府の歴代将軍を軸にて、東国の武家社会の歴史が詳細に記載されていることから、1級史料としての評価も高い。
戦国時代徳川家康が愛読して以来、世に広まった。
吾妻鏡(東鑑)が成立(編集完了)したのは鎌倉時代末期の1300年頃(北条時宗の頃?)と考えられる。
武士・寺社・公家の日記や、訴訟の記録などを掘り起こして、日にち別に編集したようだ。
北条時政北条義時の行動を正当化する場面や北条得宗家の活躍が強調されていることから、執権・北条氏関連の者が編集したと思われる。


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源頼朝が挙兵した1180年から1266年までの87年間が描かれており、全52巻で構成されているが全体の巻数は不明。
ただし第45巻は所在不明であり、第1巻~第24巻までが源氏3代、そのうち15巻は源頼朝の将軍記となっている。


吾妻鏡(1) 現代語訳 頼朝の挙兵

1183年、1196年、1197年、1198年、1242年、1249年、1255年、1259年、1262年、1264年に関してはほぼ欠落しており動向は不明。

源頼政以仁王・源頼朝の挙兵が1180年であり、1185年に平氏が滅亡し、源頼朝によって守護・地頭が設置された。
その間の1183年は平家物語などから察するしかないが惜しい。
また、源頼朝が死去した1199年まで、1196年から亡くなるまでの重要な約3年間が記録されていない。
そのため、北条時政・北条泰時と源頼朝の関係に不審な点があったとも考えられる。
あとから3年分抜かれたと言う事ではなく、最初からこの3年間には触れずに編纂されており、吾妻鏡1212年の記載の途中に、過去の振り返りのような感じで、源頼朝が落馬したあとに死去したことがわかっている次第。


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現在伝わる吾妻鏡は写本で戦国時代の1590年に豊臣秀吉小田原攻めし、小田原城が降伏開城した際に北条氏から黒田官兵衛に贈られた「北条本」と呼ばれるもので、江戸時代初期の1604年に黒田長政から徳川秀忠に献上された。
吾妻(あづま)と言う意味は京都から見て関東(鎌倉)のこと「東国」を差す。

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