対面石八幡神社の解説~源義経と源頼朝【20年ぶり涙の再会・対面石】

対面石八幡神社

対面石八幡神社

対面石八幡神社(たいめんせきはちまんじんじゃ)は、静岡県駿東郡清水町八幡にある神社で、三島から沼津への旧東海道近くにあります。
祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后。
沼津・三島付近にはいくつか八幡神社があるため、区別できるよう、対面石八幡神社と呼ばれている模様です。

対面石八幡神社

1180年、挙兵後、10月6日に鎌倉に入った源頼朝に対して、平清盛は、平維盛を大将にした討伐軍を派遣します。
これに対して、源頼朝は、10月18日夜、黄瀬川(きせがわ)沿いに布陣しました。
その際に、源頼朝が陣を置いた場所が、この対面石八幡神社がある高台(台地の先端)と考えられます。



10月20日、源頼朝は、富士川近くの賀島(かしま)(静岡県富士市)まで、軍勢を進めましたが、富士川の戦いも、小競り合い程度でした。
その夜、甲斐源氏武田信義が、北から平氏の陣を伺うと、驚いた水鳥がいっせいに飛び立ちます。
こうして、平家の平氏は、簡単な話「驚いて」逃げ出し、富士川の戦いは、源氏の大勝利となった訳です。

対面石八幡神社

その翌日、10月21日に、源頼朝は、黄瀬川八幡の地まで後退したようで、そこに、佐藤継信・佐藤忠信ら郎党20騎を率いた「若い武者」が、源頼朝との対面を願い出ました。
土肥実平岡崎義実(三浦義実)、土屋宗遠らは、怪しいと思って、ほおっておいたと言います。
そのため、源義経と鎌倉武士は、双方押問答となったようで、騒ぎが聞こえた源頼朝は、土肥実平を呼んで、怪しい男の年恰好や、どこから来たのかなどを尋ねたと言います。
「その者の歳の頃を聞くに、陸奥にいる九郎であろう」と言い、源義経は、源頼朝のとの対面が叶いました。
20年ぶりの再会で、懐かしさで胸が一杯になり、お互いに手を取り合い「涙の対面」になったと伝わります。

対面石八幡神社の境内に、源頼朝と源義経の兄弟が、腰を掛けて話したという「対面石」が残されています。
もともとは、もう少し、北側(東海道脇?)に、岩があったようです。

対面石

かつて、1083年、後三年の役の際に、先祖・源義家が苦戦をすると、弟・源義光が、朝廷警固の官職を辞職して奥州に下り、金沢柵で、藤原武衡・藤原家衡に勝利した故事を引き合いに出し 「今日ここへ来たのは、この先祖の例に匹敵するものだ」と、源義経の来訪を喜んだとされます。

対面石

念のため明記致しますが「平治物語」では、源頼朝と源義経が対面した場所は、相模・大庭城近くの大庭野(神奈川県藤沢市大庭)となっています。

交通アクセス

対面石八幡神社への交通アクセス・行き方ですが、JR大岡駅から約1.8Km、歩くと約25分の距離です。
JR三島駅・JR沼津駅からバスだと所要15分、対面石入口バス停下車して、徒歩3分となります。
クルマの場合の駐車場ですが、南側の鳥居のところに、3台ほどの駐車スペースがある模様です。
トイレも境内にありますが、すごくキレイとは申せません。



それほど遠くない国道1号沿いに、泉頭城や、柿田川湧水群があります。
なお、熱海で災害が発生した2021年7月3日の大雨で、黄瀬川の旧国道1号にかかる、黄瀬川大橋が崩落し、執筆時点では通行止になっていますので、沼津側から訪問される場合には、迂回が必要となります。
このあとは、泉頭城(柿田川湧水群)へ向かいました。

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