等持院「足利尊氏の墓」足利歴代将軍の木像もある菩提所

等持院

等持院(とうじいん)は、京都市北区にある、足利尊氏の墓と歴代足利将軍の木像がある足利家の菩提寺です。
臨済宗天龍寺派で、暦応4年(1341年)足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を迎えて開山したと言われています。
足利尊氏が等持院に葬られると、その後も歴代将軍の葬儀は等持院で行われるようになりました。
3代将軍足利義満の頃には、五山に続く十刹の首位となるほどの格式でした。


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その後は徐々に衰退しますが、8第足利義政が「尊氏百年祭」を盛大に行い等持院の復興を実現したと言われています。

足利尊氏の墓

方丈の北側にある庭園の中央部分に、足利尊氏の墓と伝えられる宝篋印塔があります。

足利尊氏の墓

延文3年(1358年)4月29日、足利尊氏が亡くなり等持院に葬られました。

霊光殿 なぜか2人の将軍の木像がない?

足利尊氏が信仰していたとされる利運地蔵尊(伝弘法太子作)を本尊に足利歴代将軍の木像が左右に安置されています。

霊光殿

本尊に近い順に左側は、初代:足利尊氏(等持院)、2代将軍:足利義詮(寶篋院)、3代将軍:足利義満(鹿苑院)、4代将軍:足利義持(勝定院)、6代将軍:足利義教(普広院)、7代将軍:足利義勝(慶雲院)、8代将軍:足利義政(慈照院)。
右側に、徳川家康(東照大権現)、9代将軍:足利義尚、(常徳院)、10代将軍:足利義稙(恵林院)、11代将軍:足利義澄(法住院)、12代将軍:足利義晴(萬松院)、13代将軍:足利義輝(光源院)、15代将軍:足利義昭(霊陽院)。

霊光殿

初代将軍:足利尊氏は、肖像画などと同様で少し目じりが下がった愛嬌のある顔立ちの木像です。
3第将軍:足利義満は、足利将軍家の権力が最大化した時期の将軍でもあるので、他の木像と比べると迫力は群を抜いています(中国の三国時代の武将のような髭をたくわえています)。
7第将軍:足利義勝などは、10歳で没した幼い将軍だったため、木像自体が小さくその表情も子供のように作られています。
徳川家康の像は、家康が42歳の厄落としの際に作成され、石清水八幡宮に置かれていたものが、明治時代に等持院に移したと言われています。
この足利将軍の木像は一見の価値がありますが、上記の通り5第将軍:足利義量、14第将軍:足利義栄の木像がありません。

等持院

・足利義量
足利歴代将軍は、様々な背景が絡み合い権力が強い時期、弱い時期がありました。
ただし、足利義量の場合、将軍になっても父が権力を握っていました(足利義持38歳)。
また、将軍になっのが17歳で19歳には病没してしまいます。
つまり、実権がなく在位も短期間だったためこの歴代将軍からはずされているのではないかと考えられています。


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・足利義栄
足利義栄は、足利義輝と将軍位を争って将軍にはなっています。
しかし、その後正当となる足利義輝-足利義昭ラインから見れば、不当な就任。
そのため、歴代将軍からはずされているのではないかと考えられています。

等持院

またこの木像は、1863年に起きた足利三代木像梟首事件でも有名です。
尊王攘夷派は、足利尊氏・足利義詮・足利義満3代の木像の首を鴨川の河原
に晒します。これは徳川将軍家(幕府)への批判であるため、当時の京都守護職:松平容保は犯人を捕まえ処刑しました。

(霊光殿の内部は撮影禁止)

見どころ

・方丈(本堂)、庭園
元和2年(1616年)に福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立したものを、文政元年(1818年)に等持院に移築。襖絵は狩野興以の作。芙蓉池を中心とする庭園。2016年(平成28年)3月31日指定京都市指定名勝となっています。

等持院

・茶室「清漣亭」
康正3年(1457年)足利義政が建てた茶室。現在の清漣亭は、江戸時代初期に再建されています。

アクセス/入山料

■交通アクセス

住所:京都市北区等持院北町63番地

・JR京都駅からのアクセス
京都市営バス26系統:約40分→「等持院南町」下車→徒歩約8分
京都市営バス50系統:約40分→「立命館大学前」下車→徒歩約10分
JRバス:約30分→「立命館大学前」下車→徒歩約10分

・等持院にアクセスできるバス
京都市営バス10、26系統「等持院南町」下車→徒歩約8分
京都市営バス12、15、50、51、55、59系統、JRバス「立命館大学前」下車→徒歩約10分

・京福電鉄北野線
「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」下車→徒歩約5分


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■入山料

・500円

(寄稿)渡辺綱

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