足利義満の解説 室町幕府3代将軍

足利義満の解説 室町幕府3代将軍

足利義満(あしかが よしみつ)は、室町幕府3代将軍として1369年~1395年に在職しました。
父は2代将軍の足利義詮(よしあきら)で京都で生まれました。
南朝勢力に京を占領されると、4歳の足利義満は建仁寺に一時隠れ、北朝勢が奪還するまで、赤松則祐の居城である播磨・白旗城に避難しています。
父が重病になると、叔父の足利基氏が推挙していた管領・細川頼之が後見し、11歳で足利義満は征夷大将軍となりました。
現在の今出川駅付近に、将軍の新邸となる花の御所(室町殿、室町第)の造営し政庁としたことから、室町時代と呼ばれる所以になっています。
21歳のとき、康暦の政変にて細川頼之を管領から罷免すると、斯波義将(しば よしまさ)を管領にしましたが、足利義満が幕府権力を握りました。


スポンサーリンク



山名氏清・大内義弘など勢力が大きい守護を弱めさせ、南北朝を合体させることに成功しています。
また、日明貿易を行い、北山にはの金閣寺を造営するなど、政治、経済、文化における室町幕府の最盛期を築きました。
1408年に病死。享年51。
なお、火葬され相国寺塔頭鹿苑院に葬られましたが、現在、墓所は行方不明となっています。

足利義満「年表」

1358年(0歳)室町幕府2代将軍・足利義詮の子として誕生。
1361年(3歳)南朝勢が京を攻めたため、父と一緒に兵庫に逃亡。
1368年(10歳)室町幕府3代将軍に就任。
1378年(20歳)京都に「花の御所」を造営し、室町幕府の政庁とする。
1391年(33歳)明徳の乱(めいとくのらん)にて、足利将軍の勢力を拡大する。
1392年(34歳)南北朝を統一を実現し、60年続いた争いを終わらせた。
1394年(36歳)9歳の足利義持に将軍職をゆずり隠居するも、従一位・太政大臣(だいじょうだいじん)として実権を握り続けた。
※武家が太政大臣に任官されたのは、平清盛に次いで2人目。
1395年(37歳)太政大臣を辞して出家し、隠居生活を始めた。
1397年(39歳)北山に別荘を建てるが、これが金閣寺である。
1399年(41歳)応永の乱(おうえいのらん)にて大内義弘を討伐し、室町幕府の権力を確たるものにした。
1401年(43歳)明に使者を送り、1404年より明との貿易を開始し、財政を豊かにする。
1408年(50歳)足利義満死去。


スポンサーリンク



大河ドラマ・映画などで足利義満を演じた俳優さん

※敬称略

東山紀之『一休さん』(2012年、フジテレビ)

※他にもたくさんあるかと存じますので、コメント欄よりのお寄せ願えますと幸いです。

足利義満①~祖父尊氏の夢を果たした室町幕府の三代将軍~
大内義弘の解説~応永の乱に散った大内氏の礎
足利義持の解説~相次ぐ国難に向き合い室町幕府体制を真に確立した4代将軍

フィードバックする
スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。