岐阜・崇福寺  斉藤利匡の謎 信長父子の墓碑と血天井

崇福寺

岐阜の崇福寺(そうふくじ)は、岐阜県岐阜市長良福光にある臨済宗・妙心寺派の寺院です。
境内に織田信長織田信忠の廟所があることで知られます。
創建は鎌倉時代と伝わります。
戦国時代の1511年に、斎藤氏の一族と考えられる斉藤利匡が寺を移して建立し、1517年に崇福寺へと改称したようです。



斉藤利匡なる武将じたいのことは、よくわかっていませんが、稲葉通以の娘との間に、斎藤利賢や明智光安に嫁いだ娘がいたようです。
斎藤利賢(さいとう-としたか)は、足利義輝の奉公衆である蜷川親順の娘と結婚し、石谷頼辰を産みました。
少し、ややっこしいのですが、石谷頼辰の養父である石谷光政の次女は、蜷川親長の仲介にて長宗我部元親の正室・元親夫人となっています。
また、斎藤利賢の弟とされるのが、斎藤利三で、明智光秀の片腕として活躍します。
当初、斎藤利三は、斎藤道三の娘を正室に迎えていましたが、江戸時代に大奥にて権力を誇る春日局は、斎藤利三と継室・稲葉一鉄の娘との間に生まれた女児です。
斉藤利匡なる武将のことは、よくわかっていないと前述致しましたが、白樫城から文殊城(祐向山城)に移り、のち、長井新左衛門尉(斎藤道三の父)に殺害されたとされる、長井長弘と同一人物ともされるようです。

なお、岐阜・崇福寺は、1469年に土岐成頼と斎藤長弘が再興し、1493年に開山したと言う説もあるそうです。

岐阜・崇福寺

恵林寺の僧で「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世で知られる快川紹喜は、崇福寺の3世・住職でした。
そのため、明智光秀とも面識があったものと推測されます。

岐阜・崇福寺

いずれにせよ、1567年、織田信長が斎藤道三の孫・斎藤龍興を滅ぼします。
そして、美濃に本拠を移して岐阜城を改修すると、崇福寺を織田家の菩提所と定めました。

岐阜・崇福寺

しかし、1582年、本能寺の変で、織田信長と子の織田信忠が明智光秀に討たれます。
この時、織田信長の側室・お鍋の方は、4日後には、長良の崇福寺を織田信長の位牌所と定めたようで「いかなる者の違乱を許さない」と自筆にて寺に命じています。
※違乱(いらん)とは、行為に反対すること。
こうして、織田信長の遺品などが寺に送られて埋められ、位牌が崇福寺に安置されました。

崇福寺の展示

下記は稲葉一鉄が寄贈した鐘楼です。

稲葉一鉄が寄贈した鐘楼

境内の表からの部分は無料で見学できますが、本堂と織田信長父子廟は有料拝観となります。

崇福寺の有料拝観を申し出ると、まずは本堂に通されます。

その本堂に足を踏み入れますと「血天井」があると言う案内が目につきました。

血天井

1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦にて、石田三成に味方した織田秀信の岐阜城は、徳川家康に味方した福島正則池田輝政らが攻撃して、岐阜城の戦いとなりました。
この岐阜城が落城したときの床板が、天井に張られたものとなり、黒ずんだ血痕が残っています。
お寺さんで、討死した38名の武将や将兵の菩提も弔っていると言う事になります。

血天井

その他、本堂の内部には貴重な史料などの展示もありました。
拝観料のわりには、とても見どころも多く、お得感があります。

織田信長教訓の絵

本堂を出たあとには、靴を履いて外に戻り、壁にある「扉」を自分で開けて、進んでいくとまずは庭園に出ます。

岐阜・崇福寺

もちろん、有料拝観ですので、無断で入るとバチがあたりますので、マナーは守りましょう。
庭園を横切って、裏手にある織田信長父子廟へ向かうことが出来ます。

織田信長父子廟へ向かう

すると、織田信長・織田信忠親子の墓石が目に入ってきました。

織田信長・織田信忠親子の墓石

更に奥に足を進めますと、織田信長父子廟があります。
位牌堂と言う事ですね。

織田信長父子廟

更に奥の方には、斉藤利匡(長井長弘?)の墓と、一族の墓がありました。

斉藤利匡(斎藤妙純)の墓

清掃など大変だと思いますが、境内は、どこも、かしこも、大変、手入れが行き届いており、織田信長にも、気に入られているのではと感じました。



岐阜の崇福寺への交通アクセス・行き方ですが、JR岐阜駅(11番乗り場)または名鉄・岐阜駅(4番乗り場)から市内ループ左回りバス乗車して所要20分、長良川国際会議場北口バス停にて下車して徒歩3分となります。
運行間隔は約15分毎にありますので、便利です。
無料の駐車場は、道路わきにあり、バス2台、普通車12台ほどになっていました。
当方のオリジナル地図にて駐車場入口をポイントしておきます。

見学所要時間ですが、織田信長父子の廟も見学しますと、20分~30分といったところです。
近くには斎藤道三(斎藤利政)の「道三塚」も徒歩圏内でありますので、セットでどうぞ。

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