竹腰道鎮(竹腰摂津守) 長良川の戦いで口火を開いた武将

竹腰道鎮

竹腰道鎮(たけごし-どうちん)は、戦国時代の武将で、美濃・柳津城主を務めました。
この竹腰家は、宇多源氏の佐々木信綱を祖先にもつ名門です。

1556年、斎藤道三と、嫡男・斎藤義龍が争った「長良川の戦い」で、竹腰道鎮は斎藤義龍(斎藤高政)に従っています。
その長良川合戦で、竹腰道鎮(竹腰摂津守)は先陣を務めており、斎藤道三勢に突撃しました。
円陣にて長良川を渡った竹腰勢でしたが、鷺山城から進出した斎藤道三の本陣に接近したところで、激戦となっています。
竹腰勢は敗走し、斎藤道三の精鋭部隊によって、竹腰道鎮は討ち取られました。
その他、一騎打ちを挑んだ、長屋甚右衛門を、道三勢の柴田角内が討ち取っています。


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なお、子の竹腰尚光は、斎藤義龍の重臣として活躍しました。
斎藤龍興のときには、次々と家臣が織田家に寝返りましたが、最後まで斎藤家に従っています。
そして、美濃・斎藤氏が滅亡すると、農村に隠居して余生を過ごしたともされます。

なお、同じ一族と推測される竹腰正時に嫁いだ「お亀の方」が竹腰正信を産んでいますが、夫と死別するなどして1594年、22歳の時に、徳川家康の側室になりました。
1601年には、徳川義直伏見城にて産んでもおり、竹腰正信は徳川家康に仕え、尾張・徳川家(尾張藩)の家老(3万石)にもなっています。

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