毛利十郎 織田信秀と織田信長の家臣

毛利十郎

毛利十郎(もうり-じゅうろう)は、戦国時代の武将で、尾張の織田信秀に仕えていました。
しかし、1547年9月22日、美濃・稲葉山城斎藤道三を攻めた際に、討死しています。
この時の加納口の戦いでは、毛利十郎のほかに、犬山城主である織田信康(織田信秀の弟)、織田因幡守、織田主水正、青山信昌(青山与三右衛門)、千秋季光、毛利敦元、寺沢又八の弟、毛利藤九郎、岩越喜三郎ら5000の織田勢が討死したとされています。

そのあと、毛利敦元と言う武将も毛利十郎敦元と称していますが、先に討死した毛利十郎の子と推定されています。



1554年7月12日、毛利十郎敦元は、尾張守護・斯波義統が、織田信友や織田彦五郎・坂井大膳・河尻左馬丞に謀殺された際に、斯波義統の幼子を保護して、織田信長のもとに届けました。
その幼子は毛利十郎が養育したようで、成長すると、毛利十郎の養子となって、毛利秀頼と称しています。

1560年5月19日、今川義元との桶狭間の戦いにて、毛利敦元(毛利十郎敦元)は武功を挙げたとあります。
なお、桶狭間で活躍した毛利氏と言うと、毛利新助(毛利新介良勝)がいます。
これらの人物は、毛利敦元(毛利十郎敦元)と同一とも、一族ともされますが、この記事では毛利十郎としてご紹介いたしました。

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、毛利十郎を俳優の佐藤誠さんが演じられています。

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