村上武吉の墓【元正寺】周防大島 村上海賊

村上武吉の墓【元正寺】周防大島

村上武吉の墓は、山口県大島郡周防大島町にある周防大島(すぼうおおしま)の元正寺跡にあります。
位牌は、少し離れたところに、再建されている正岩寺の本堂に安置されているそうです。
ルイス・フロイスも「日本最大の海賊」と評した、村上武吉(むらかみ-たけよし)は、和田竜さんの小説「村上海賊の娘」の主人公である、村上景の実父に当たります。

<注釈> 村上武吉の墓と、村上武吉の妻の墓は「元正寺」にあります。位牌と村上一族の墓は、名前が似ていますが、離れている「正岩寺」にあります。

元正寺

厳島の戦いにて毛利元就に味方した戦功により、毛利家から周防大島を与えられていました。
豊臣秀吉によって海賊禁止令が出され、通行料を得られなくなった村上水軍は、陸に居場所を求めました。
村上武吉は、小早川隆景を頼っていたため、関ヶ原の戦いにて、毛利家が防長に減封された後、出家したようです。


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そして、周防大島(屋代島)の集落「和田」にて、余生を過ごしたとされ、約3年後の1604年に没しました。
嫡男で鎮海山城にいた村上元吉は、伊予・松前城を攻撃した際に討死しているため、菩提寺と墓は、次男・村上景親が建立しています。

村上武吉の墓

上記写真に入っている人物は、ご子孫の方でしょうか?
丁重にご供養なさっておられましたので、控えめにお祈りさせて頂きました。

村上武吉の墓のうしろがわには、村上武吉の妻の墓もあります。

村上武吉の妻の墓

村上武吉には、3名の妻が垣間見えますが、最初の妻は、村上一族・来島通康(来島右衛門大夫通康)の娘・ムメですが、早くに亡くなったようで、能島・高龍寺に墓があります。
後妻は、同じ来島通康の次女・ハナと考えられ、長男・村上元吉と、次男・村上景親の母のようです。
3番目の妻と記載して良いかわかりませんが、朝鮮攻めの武功で与えられた、朝鮮の娘も妻(妾?)にしています。


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ちなみに、戦国時代の村上水軍など村上氏の先祖は、後醍醐天皇に尽くして足利尊氏に敗れた、北畠顕家の遺児とされます。

もうひとつ、ちなみに、来島村上家は、関ヶ原の戦いのあと、豊後・森藩1万4000石にて大名となっています。
2代藩主・来島通春は、江戸時代の1616年に、名字を来島から久留島に改めて、久留島通春と称しました。

村上武吉の墓【元正寺】周防大島

その嫡男で3代藩主に久留島通清がいますが、1663年、参勤交代で江戸城に向かう際に、屋代島の地家室沖で、時化にあい、弟・久留島通方ら11名の船が、岩礁に座礁して、溺死しています。
その久留島通方(久留島主膳)の墓も、周防大島にある帯石観音近くにあります。

未訪問ですが、少し東に行ったところある正岩寺(正岩神社)は、村上家墓所(菩提寺)となっており、村上一族の墓もあります。


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村上武吉の墓への交通アクセス・行き方ですが、JR大畠駅から防長バスに乗車して約60分、内入(うちのにゅう)バス停下車して、徒歩5分です。
初めての訪問ですと、わかりにくいため、解説させて頂きます。
バス停近くにある旧道沿いに「村上武吉公記念碑」の看板がありますので、そこの細い道を入って行きましょう。

「村上武吉公記念碑」の看板

上記写真地点を曲がると、右側に公民館のような敷地がありますので、大きなクルマは、そこに止めさせて頂くと良いかと存じます。
下記写真の中央付近が「元正寺」でして、建物の左わきに、村上武吉の墓があります。

村上武吉の墓

小さなクルマであれば、道が細いですが、下記を右折した先に、1台ほどの駐車スペースがあります。
ただし、転回できるところがないので、バックで途中まで、戻ってくるしかないです。

村上武吉の墓への行き方

当方のオリジナル地図山陰・山陽にて、印してありますので、スマホで開いて、目的地設定すると、カーナビ代わりに、お使い頂けます。

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村上景とは~村上海賊の娘「主人公のモデルとなった女性は?」
村上水軍と能島城~潮流の激しい海峡にある村上海賊の本拠地
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