日向薬師をちょこっとわかりやすく解説

日向薬師

日向薬師とは

日向薬師(ひなたやくし)は、神奈川県伊勢原市日向にあり奈良時代初頭716年創建となる高野山真言宗の寺院
宝城坊本堂(薬師堂)は国の重要文化財。
吾妻鏡によると開基は例によって行基とあり、古くは日向山霊山と称していた。

日向薬師

柴折薬師(高知県大豊町)・米山薬師(新潟県上越市)とともに「日本三薬師」に数えられる。
最盛期は12を数える坊があったが、別当坊・宝城坊(ほうじょうぼう)が現在日向薬師の寺籍を継いでいる。

ご本尊は平安時代前期の薬師三尊像で国の重要文化財。

薬師三尊像

歴史上に日向薬師が登場するのは平安時代後期の1020年で、京の歌人で百人一首にも入っている相模と呼ばれた女性(源頼光の娘か?)が、相模守になった大江公資(おおえ-きみより)と結婚。(大江公資に強引に妻にされたともある。)
そして、1020年に夫が赴任した相模やってきて4年の任期が終ると帰京し、1025年頃に離別している。
この間に「さして来し日向の山を頼む身は目も明らかに見えざらめやは」と歌を読んだが、大江公資が田舎女と浮気したとして、相模は伊豆走湯権現(伊豆山神社)にも歌を納めている。


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鎌倉時代の初期には源頼朝の妻・北条政子が1192年に安産祈願のために読経をさせた寺院のひとつとなっている。
また、源頼朝の娘・大姫が病気になると、1194年に病平癒祈願の北条政子は自ら日向山に参詣もした。

日向薬師

戦国時代には小田原城の北条氏に味方しており、1569年武田信玄が小田原城を包囲した際には、三増峠の戦いの後に出陣していた日向薬師の僧兵が、津久井・青根にて「青根の戦い」となり日向薬師・八大坊の「前大先達権大僧都勝快法印」(勝快法印)と呼ばれた僧侶が討死している。
<注釈> 北条家に従っていたのは日向薬師だけでなく、八菅山七社権現、心源院(八王子)なども同様。

日向薬師

日向薬師の見学所要時間は、駐車場からで最短10分、通常20分~40分といったところ。

交通アクセス

電車の場合、小田急・伊勢原駅から神奈川中央交通バスの「伊20系統」「伊22系統」に乗車して終点の日向薬師バス停下車し、本堂まで階段をのぼる事徒歩約15分。
クルマの場合、本堂からだいぶ近いところまでクルマで登って行き、一番奥に「第1駐車場」(無料)がある。

日向薬師の駐車場

新東名の大山ICが近くにできたのでだいぶ便利になったが、途中から道路が1.6車線と言う感じなので大型車(バスなど)はちょっと厳しいか。
境内などの拝観は自由で、宝物殿のみ有料拝観。

お時間があれば、大山・阿夫利根神社とセットでどうぞ。

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