於大の墓・千姫の墓・お夏の方の墓・鷹司孝子の墓などがあるスゴイ傳通院(小石川伝通院)

傳通院(伝通院)

傳通院(伝通院)とは

傳通院(伝通院)は東京都文京区小石川にある浄土宗の寺院。
正式名は無量山・伝通院・寿経寺で、小石川伝通院とも呼ばれる。
開山は室町時代の1415年秋。

於大の墓

江戸時代に入り、1602年8月に徳川家康の生母・於大の方が、京都の伏見城で死去した。
このとき徳川家康は、遺言通りに江戸・大塚町の智香寺(智光寺)で火葬。
1603年、現在ある於大の方の墓を建立すると、寿経寺を墓のある敷地に移転させた。
位牌は久松俊勝の菩提寺・安楽寺(愛知県蒲郡市)に置いており、安楽寺住職から受けた於大の方の法名「伝通院殿」にちなんで寿経寺は院号を伝通院(でんつういん)と改称した。
<注釈> 各写真は押すと拡大表示される。

於大の墓

以後、傳通院(伝通院)は徳川家の菩提寺、どちらかと言うと女性の菩提寺となった。

有名な徳川家の姫などの墓が境内にある。

初姫の墓

下記は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の4女、母はお江(江与)となる「初姫の墓」。享年29。
初姫(はつひめ)は、徳川家光の妹で若狭・小浜藩主である京極忠高の正室となった。
京極家の菩提寺に入っていないので、夫婦の仲が悪かったこともわかる。

なお、伝通院では初姫の墓をあまり説明していないと申しましょうか、案内板などにも初姫の名は無くお参り撮影では見落としてしまった。

傳通院の墓所

上記にも興安院の名がないが、もし、墓石を探す場合には興安院となる。
墓石自体は大きい。

千姫の墓

下記は、千姫の墓。

千姫の墓

千姫(せんひめ)は徳川秀忠の長女で、母はお江(江与)。
豊臣秀頼の正室となって大坂の陣を経験。
大坂城落城の際に救出されると、本多忠刻へ再嫁し、のち姫路城にも入っている。

鷹司孝子の墓

鷹司孝子(たかつかさ-たかこ) は江戸幕府第3代将軍・徳川家光の正室(御台所)。
京の関白家から嫁いだ。

鷹司孝子の墓

しかし、事実上結婚生活はなかったようで、子もいない。享年73。

於奈津の墓

徳川家康の側室・お夏の方(於奈津)の墓。

於奈津の墓

お夏の方(順性院)は京の町娘で、徳川家光の正室・鷹司孝子付の女中であった。
甲府宰相となる徳川綱重を産んでいる。
於奈津の墓は、特に案内板などが設置されていないため、目の前を数回ウロウロしてしまった。

他にも5歳で亡くなったとされる、徳川家光の二男・徳川亀松の墓もある。

江戸時代、小石川伝通院は浄土宗の関東18檀林のひとつになっており、常時1000人の学僧が修行していたそうだ。

下記は、幕末に浪士組を結成するも江戸で暗殺された清河八郎の墓。
首だけが埋葬されているらしい。

清河八郎の墓

最近では、堺屋太一さん(1935年~2019年)の墓もあるようだ。

以上、歴史上の有名な女性がおおく眠っている小石川・伝通院はスゴイ。
それぞれの墓石も大きい。
丁重にお参り願いたい。

交通アクセス

東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園」駅より徒歩10分
都営地下鉄三田線・大江戸線「春日」駅より徒歩10分
都バス都02、都02乙、上69「伝通院前」より徒歩2分

門の右手から境内に気いると駐車場(ジャリ)が利用できる。

小石川・伝通院

於大の方 松平康俊【徳川家康の母と子の運命】
お江、小督、お江与の方(崇源院)~浅井三姉妹・徳川秀忠の正室
千姫とは~徳川家の娘として波乱の人生を歩んだ戦国時代最後のヒロイン
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