日暮八幡神社(ひぐらしはちまんじんじゃ) ~源頼朝が夕暮れを待った伊東の地

日暮八幡神社

日暮八幡神社とは

日暮八幡神社(ひぐらしはちまんじんじゃ) は、静岡県伊東市桜木町にある神社で、平安時代末期に源頼朝(佐殿)と八重姫の伝説がある地です。

日暮八幡神社

伊豆にて流刑となっていた源頼朝は、最初、伊東祐親の監視のもとに置かれて、伊東「北の小御所」にて暮らしたようです。
ただし、罪人とは言え、屋敷を与えられるだけでなく、多少の遠出も自由でして、牢屋に閉じ込められていたと言う事ではありません。
そのため、いつしか、伊東祐親の娘・八重姫と源頼朝は「おとなしの森」(音無の森)で、密会するようになったとされます。
当時の密会は、人目につかないよう、夜になってから会う事が多いです。
そのため、源頼朝は、松川の東側にある「おとなしの森」へ向かう際に、松川(伊豆大川)の西側にあるココ「ひぐらしの森」で、夕暮れになるのを、待ったとされます。

日暮八幡神社

そのような伝承があることから「ひぐらしの森」があったとされる場所に、「日暮八幡神社」がある次第です。
現在、日暮八幡神社の周りは、伊東市の市街地ですので、森が広がっていると言う事はなく、境内に木が茂っている程度です。
江戸時代には、新田開発されていたようですが、音無川(松川)の近くまでは、森が広がっていたとされます。
なお、北の小御所があった場所は、特定されておらず、不明ですが、伊東駅近くにあったような印象を受けます。
個人的には、伊東・松月院さん辺りが怪しいと感じますが、確かめるすべはありません。


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1175年9月頃、京から戻った伊東祐親は、八重が源頼朝の子・千鶴丸(千鶴御前)をもうけていたのを知ります。
そして、伊東祐親は、5人の郎党に命じて「千鶴丸を松川の奥の白滝の底に柴漬けにして沈めよ」と命じ、伊東・稚児ヶ淵にて殺害したとされます。
八重姫も、江間小四郎(江間四郎)に嫁がせたとされますが、その後の八重姫に関しても、色々と諸説あります。

音無神社の近くに、伊東・最誓寺がありますが、千鶴丸の菩提を弔うために創建されたと伝わります。

交通アクセス

日暮八幡神社への交通アクセス・行き方ですが、伊東駅から約1.2km、徒歩15分といったところです。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキング利用となります。


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2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目ですが、伊東温泉からも、そんなに遠くはありません。
訪問される場合には、音無神社、最誓寺もセットでどうぞ。

八重姫は、北条時政の屋敷がある、伊豆の国市にある真珠院にて供養されています。

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