伊東【稚児ヶ淵】がある場所はココ~八重姫の子・千鶴丸(千鶴御前)最後の地

伊東・稚児ヶ淵

稚児ヶ淵

伊東・稚児ヶ淵(ちごがふち)は、静岡県伊東市鎌田にあります。
別名は、蜘蛛ヶ淵(くもが)、思ヶ淵(おもが)、稚児淵、轟ヶ淵、松枝が渕とも呼ばれ、八重姫の子・千鶴丸(千鶴御前)が、殺害された場所とされます。

伊東・稚児ヶ淵

八重の父・伊東祐親は、5人の郎党に命じて「子供を松川の奥の白滝の底に柴漬けにして沈めよ」と命じました。
曽我物語では、松川の奥にある「とどきの淵」に、柴漬にして沈めてしまったとあります。

稚児ヶ淵伝説

柴漬け(ふしづけ)と言うのは、すのこ巻きと言う意味でして、石を巻いて、八代田の川に沈めたと言えます。
八重姫じたいが実在したか不明なこともあり、正確な場所は、わかっていませんが、下記の地図にあるポイント地点に、解説版と石碑があります。

ちょうど、イエローハットさんの裏側の川のようで、かつて、平安時代頃には、伊豆・大見城へ抜ける奥野道にも近く、修禅寺街道が通っていた所と言えます。
現在、上流には、奥野ダムがありますので、昔はもっと水量があったのかも知れません。

その後、松川に沈められた千鶴丸の遺骸は、川を流れて行き、相模湾の富戸の海岸(静岡県伊東市富戸)に流れ着いたのを、釣りをしていた甚之右衛門が見つけて、埋葬したと伝わります。
そうなると、単純に、伊豆高原の城ヶ崎海岸である絶壁から、海へと落としたのではとも勘ぐってしまいます。

もっとも、伊東祐親は、斉藤五郎・斎藤六郎の兄弟に命じて、千鶴丸を殺害したことにし、曽我祐信の元に逃したと言う説もあります。
旅の僧が、伊東家の家来を説得して助け、預かると出羽に連れて行ったですとか、
女塚にある伝承のように、甲斐源氏に預けられたあと、島津忠久になったと言う話もあります。
その他にも、色々と伝承があるのですが、西側にそびえる山は、伊豆・鎌田城です。
そうなんです。
この付近は、鎌田氏の領地だった可能性があるんですよね。



この鎌田氏は、1160年、平治の乱で敗れた源義朝(源頼朝の父)が、尾張の長田忠致の館で討たれました際に、一緒に殺害された鎌田政清の系統とする説があります。
単に名前が同じだからと、伊豆あるある(よく調べずに憶測による)歴史地のため、なんとも、申し上げられませんが、その鎌田政清の子・鎌田俊長(鎌田新藤次俊長、藤井俊長)と言う武将の領地だったとされます。
この鎌田俊長は、源頼朝が挙兵した際から従っていたため、八重姫の千鶴丸が不幸にも沈められた1175年頃から、挙兵までの1180年の5年間に、入った可能性もあるのですが、伊豆の歴史としては、平家来襲に備えて、鎌田城を築いたともあります。

伊豆の伊東氏は、もともと工藤氏でして、伊豆の南部の多くを領する最大勢力であり、もっと西にある伊豆・狩野城も支配しています。
その中間の場所に、一族以外の鎌田氏がいたとは、なかなか理解しにくいのです。
ただし、客将扱いとも考えられる加藤景廉が、工藤氏によって、修善寺の牧之郷に住んだともありますので、同じく、鎌田俊長が工藤氏(伊東氏)の世話になっていた可能性も、否定はできないところです。
となると、鎌田氏の承諾を得て、この場所にて殺害したとも考えられるのですが、伊東氏の郎党として、鎌田氏も、数えられていたのかも知れません。

なお、城ヶ崎海岸の富戸で発見された千鶴丸の遺骸は、伊東の鎌田神社(火牟礼須比(ほむすび)神社)の枝を、手にしていたと言います。
これは、これから殺害される千代丸のせめてもの慰めにと、鎌田の祠に繁っていた、橘の花の香りがする小枝を、伊東家の郎党が渡していたと言う事です。

伊東にある最誓寺は、江間小四郎と八重姫の発願にて、千鶴丸の菩提を弔うため、創建されたと伝わります。

伊東・最誓寺

千鶴丸が殺害された後、源頼朝も命を狙わると、伊東祐清が知らせてくれたため、走湯権現伊豆山神社)へと逃れました。
その途中、伊豆・多賀から熱海への山越え、登り坂の峠付近にて、喉の渇きを潤したのが下記の「一杯水」と言う湧水です。
のちに一杯水のそばに、千鶴丸を供養した地蔵尊が祀られました。

一杯水

ただ、伊東には海もある訳でして、わざわざ、伊東氏館から、上流に4kmも入ったところで、殺害させたのには、ちょっと、手間がかかりすぎています。
となると、やはり、逃したのか?、それとも、単なる作り話なのか?、答えが見つかりません。
しかし、日本全国、普通の土地には、このような歴史に関する話は少ないですので、このような伝承があるだけでも、それは、大変素晴らしいことだと存じます。

交通アクセス・行き方

伊東・稚児ヶ淵がある場所ですが、道路から、伊東大川に、降りることができる会談もあるようですが、クルマを止める場所がありません。
交通量はとても少ない、1.5車線道路のため、無理して駐車できそうですが、地元の皆様にご迷惑をお掛け致しますので、そこまではできません。
前後の安全確認を行い、5秒だけ道路で停止し、窓から石碑を撮影致しました。



電車・バスの場合、電車・バスの場合、伊東駅からバスで約20分、八代田バス停下車して、700m、徒歩約11分くらいです。
バスの本数は、1時間2本程度はあると思います。

江ノ島の西側にも、稚児の白菊が身を投げた稚児ヶ淵と言う海岸がありますので、混同しないよう、注意が必要です。

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