下寺尾・七堂伽藍跡

下寺尾・七堂伽藍跡

七堂伽藍跡の説明

茅ケ崎市の北西部にあり、JR相模線の「寒川駅」~「香川駅」の間に位置します。
所在地は茅ケ崎市下寺尾で、
付近には宇宙飛行士を輩出した県立の進学校である茅ケ崎北稜高校があります。
小出川と駒寄川が合流する手前の台地の下にこの遺跡はあり、
地元では古くから古代寺院があると伝承されて来たそうです。
1957(昭和32年)に「七堂伽藍跡」碑が建立され、
1978(昭和53年)の第一次発掘調査によってその存在が確認されました。
2000(平成12年)~2010(平成22年)に再び調査がされ、
創建期は7世紀末(飛鳥時代後期)であり、
9世紀後半(奈良時代)に廃絶となったものの、
その後、平安時代には仏堂が建てられていたと考えられています。
七堂伽藍とは、金堂・講堂・塔・鐘楼・経蔵・僧房・食堂(じきどう)などを備えた
大きな寺のことを言うそうですが、
本遺跡では本尊をまつる金堂と仏教思想を広めるための
講堂があったと考えられる大型の堀立柱建物跡や大量の瓦などが発掘されており、
瓦葺の大寺院であったことが確認されていおります。
仏教に関連する銅匙(どうさじ)や二彩陶器等も多数出土しています。
舟着場・祭祀場の跡も検出されています。
そして平安末期から鎌倉幕府建立の1182年~1190年の間に
兵火によって焼失したとのことです。
其のころは石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)の直後でもあり、
治承・寿永の乱と呼ばれる内乱の時期とも重なっています。
その後は再建されることもなかったみたいなので、
鎌倉とは、敵方だったのでしょうか?
その辺りは憶測となってしまいますが・・・。
小出川を望む標高13mの相模原台地頂部に位置する
相模国高座郡衙と考えられる下寺尾官衙遺跡と
台地の南裾に位置する七堂伽藍跡や舟着場・祭祀場の跡を含め、
平成27年(2015)年3月10日に下寺尾官衙遺跡群の一部として国史跡に指定されました。

建碑時の記念写真<昭和32(1957)年12月15日>

「七堂伽藍跡」の石碑を建立した有志の皆様。
下寺尾の地に大寺院が存在したことを信じ、
発掘調査によって遺跡が明らかにされ、恒久的に保存されることを願っていました。
その願いが見事に実を結び、現在は国指定の史跡となりました。
「七堂伽藍跡」の石碑の土台の石は、当時の礎石を利用しているそうです。

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