
四谷不動と大山阿夫利神社一の鳥居
旧東海道の四谷(四ツ谷)立場です。
また、ここは東海道と大山街道の分岐点でもありました。
「立場(たてば)」の説明を簡単にしますと、
宿場と宿場の間にあって、旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所のことです。
その地域の名物をふるまう茶屋もあり、賑わいを見せたそうです。
大山道本尊の不動明王を安置した道標は、延宝4年(1676)年の建立で、
江戸横山町の講中(こうじゅう)が建てたそうです。
更に、堂外にも道標があり、
こちらは万治4年(1661)に江戸浅草の蔵前町の講中によって建てられました。
講中(こうじゅう)とは、
講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まりの事です。
当時の賑わいは現在でも引き継がれており、
毎年7月1日の大山開きにはこちらの町内会の年中行事として、
宝珠寺(辻堂元町)の住職のもと、護摩供養が行われています。

大山阿夫利神社・一の鳥居
大山街道起点の場所に、大山・阿夫利神社の一の鳥居があります。
大山阿夫利神社は、神奈川県伊勢原市の大山にある神社です。
創建は古く、今から2200年以前と伝えられております。
相模国は許より関東総鎮護の霊山として崇敬を集め、
海抜1252メートルの山頂からは、祭祀に使われたと思われる縄文土器が出土しています。
大山は、別名「あめふり山」とも呼ばれ広く親しまれてきました。
奈良時代以降は神仏習合の霊山として栄え、
武家の政権始まった後も源頼朝公を始め、徳川家の代々の将軍から信仰され、
庶民からの崇敬も厚く、
やがて人々は「講」という組織を作り大山へ参拝をするようになりました。
江戸期には年間で数10万が訪れたと記録されています。
「大山詣り」と呼ばれた参詣は古典落語の中でも語られていた程でした。
そうした歴史を感じさせてくれる史跡です。

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