北条義時法華堂(北条義時墓跡)~鎌倉にある2代執権・北条義時の墓跡(国史跡)はこんなところ

北条義時法華堂

北条義時の法華堂とは?

2021年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公であ北条義時は鎌倉幕府2代執権になった武将です。
1224年6月13日、北条義時が亡くなると、源頼朝の法華堂がある、東の山中にて、6月18日に「前奥州禅門(北条義時)の葬送。故右大将家(源頼朝)法華堂の東の山上をもって墳墓となす」とあります。(吾妻鏡)

北条義時法華堂

その墳墓の地に廟屋とも言える、新たに法華堂が建立開始されたと言う事が言えるでしょう。
そして法華堂が完成すると、8月8日、走湯山(伊豆山神社)の浄蓮房により墳墓堂の供養が行われました。

北条義時法華堂

少し、ややっこしいのですが源頼朝の公式な墓所となったのが「法華堂」でして、その近くに北条義時の公式な墓所として別途建立されたのも同じ名称で「法華堂」(ほっけどう)と言う事になります。

ただし、長らく、その北条義時の法華堂が、どこにあったのか、場所が不明でしたが2005年に、鎌倉市教育委員会が想定地を発掘調査しました。
その結果、長さ8.4m四方で、屋根の軒の出が12.4mという大きな三間堂(さんげんどう)の遺構がみつかり北条義時の法華堂跡と認定されています。
そして、2006年、国の史跡に追加指定・名称変更されました。

執筆時点での国史跡登録上は、2つの法華堂をまとめて「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」としているため2つとも、同じところにある印象があります。
しかし、源頼朝の法華堂は、江戸時代に薩摩藩主・島津重豪が建立した、現在、源頼朝の墓がある場所にあったと考えられ実際には、少し離れていると言うことになります。


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なお、1231年、火災により源頼朝の法華堂と北条義時の法華堂は焼失しました。
すぐに再建されたようで、1247年には三浦泰村がここに籠って、鎌倉幕府5代執権・北条時頼を迎え撃ちますが敗れ、三浦一族500名がそろって自刃した地でもあります。
そのため、法華堂跡わきの山の崖にある「やぐら」のひとつに、三浦泰村一族の墓と伝わる墓石と卒塔婆があり今でも供養されています。

三浦泰村一族の墓

なお、法華堂の建物は、日本が元寇の脅威にされされていたころの1280年、再び大火事にて源頼朝、北条義時の法華堂、全て焼失したとされています。
<注釈> 北条義時の法華堂は、1310年まで存在していたとも。
それからは再建されることなく、鎌倉幕府も滅亡を迎え忘れ去られていったようです。

なお、江戸時代中期に、源頼朝が祖だと主張する薩摩藩が墳墓を整備しています。
北条義時法華堂の奥に更に階段が伸びておりその階段の上に、毛利季光の墓、大江広元の墓、島津忠久の墓が建立されました。
3つの墓の様子は、下記のサイトにてご確認頂けますと幸いです。

大江広元の墓・島津忠久の墓・毛利季光の墓【北条政子ゆかりの地を散策】

北条義時法華堂や大江広元の墓などへの入口は2箇所あります。
当方のオリジナル地図にて、入口をポイントしてありますので、場所がわからず、迷った場合にはご確認頂けますと幸いです。
下記は、源頼朝の墓がある、大蔵・白旗神社近く(西側)の入口です。

北条義時法華堂の入口

もう1箇所、東側にも入口がありまして、どちらからでも入れます。
毛利季光の墓などは、その法華堂跡の奥にある階段(下記)から登って行きます。

大江広元の墓入口

階段は、2つ並行してあるのですがやぐら式の墓は3つ並んでいます。
左の階段は毛利家が整備した毛利季光の墓、大江広元の墓の階段です。
右側の階段は島津家が整備した、島津忠久の墓の階段になります。
登り切ったところは同じ高さの平地なのですが階段が2つ別々にある感じです。
上のほうでは、階段から隣の階段になんとか移動はできますが、手すりなどはなく急な階段ですので落ちないようにご注意願います。


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正直に申し上げますと観光スポットとは言いにくく墓所跡である史跡と言う感じです。
発掘した遺構は保存のため、埋め戻されているので現地を訪れても、無造作に草原が広がっているだけにすぎません。
地元の皆様もほとんど、足を踏み入れることは無いようです。
大変失礼ながら1度訪問させて頂ければ、もう2度と行きたくないような雰囲気の場所でして、個人的には鎌倉で一番行きたくないところです。
しかしながら、今回は改めて撮影させて頂きたく、2回目の訪問・お参りをさせて頂きました。
救いだったのは、帰りに2名ほどの観光客が入って来たことでした。
源頼朝の墓は意外と訪れる方が多いですが北条義時の法華堂跡はひとりですと、生きてここから出られるのか?とも考えてしまうようなとても寂しいところですのでね。

なお、北条義時の墓は、出身地である静岡県伊豆の国市の北條寺(北条寺)にも、伊賀の方(佐伯氏の娘)の墓と共に、あります。

交通アクセス

JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より徒歩20分。
バスの場合、鎌倉駅・東口より、4番・5番バス乗り場から八幡宮・浄明寺方面行き(湘南急行バス)に乗車して、岐れ道バス停下車の徒歩約5分ですが、道路は渋滞しますので、歩いても同じくらいの所要時間と考えられます。
クルマの場合、駐車場がありませんので、鶴岡八幡宮など近隣のコインパーキング利用となります。
見学所要時間は約15分といったところです。

もちろん、西隣にある源頼朝の墓も、セットでどうぞ。

鎌倉 源頼朝の墓【北条政子ゆかりの地を散策】
5分でわかりやすい【源頼朝】の解説「鎌倉幕府・征夷大将軍・鎌倉殿」旧相模川橋脚も (鎌倉殿の13人)
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