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志波城址・志波城古代公園について
志波城(しわじょう/しわのき)は、
現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵です。
国の史跡に指定されています。
志波城古代公園は,今から約1200年前の平安時代に,
桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって造られた
古代陸奥国最北,最大級の古代城柵「志波城」を,
発掘調査成果により復元整備した歴史公園です。
【問い合わせ】
志波城古代公園案内所
〒020-0855 岩手県盛岡市上鹿妻五兵衛新田47-11
電話,ファクス:019-658-1710
案内所は午前9時~午後5時まで。
年末年始(12月29日から1月3日)を除き無休。
盛岡市教育委員会歴史文化課
〒020-8532 岩手県盛岡市津志田14-37-2 電話019-639-9067
【開園時間】
終日自由に入園できます。
案内所・官衙展示室・トイレなどは午前9時から午後5時まで
(年末年始(12月29日から1月3日まで)を除き無休)
※※冬季閉鎖が多いこの地域ですがこれはありがたいです※※
【駐車場】
乗用車8台
【アクセス】
<高速道路から>
自家用車,貸切バス
東北自動車道盛岡インターチェンジ⇒
国道46号盛岡市内方向⇒国道46号盛岡西バイパス市内仙北町方向
⇒県道13号花巻方向⇒飯岡十文字交差点・県道16号御所湖方向⇒志波城古代公園駐車場
東北自動車道盛岡南インターチェンジ⇒県道36号秋田方向⇒
県道13号秋田方向⇒飯岡十文字交差点・県道16号御所湖方向⇒志波城古代公園駐車場
<JR盛岡駅から>
タクシー・レンタカー(約15分)
盛岡駅~盛南大橋もしくは杜の大橋経由
盛南地区方向~国道46号盛岡西バイパス秋田方面⇒
県道16号花巻・御所湖,飯岡十文字交差点方面⇒志波城古代公園 駐車場
<路線バス>
岩手県交通バス (電話:019-654-2141)
盛岡駅東口バスのりば13番から乗車(約26分・400円)
「志波城古代公園前行」乗車,「志波城古代公園前」バス停下車徒歩1分
「飯岡十文字経由矢巾営業所行」乗車,「飯岡十文字」バス停下車徒歩約10分
本宮線・羽場線〔系統501・502・503・504 志波城古代公園行,矢巾営業所行き〕
復元したのは当時の志波城の一部ですが,
高さ11メートルの外郭南門,全長252メートルの外郭の築地塀や
櫓,政庁,官衙建物,兵舎だった竪穴建物などが,
広大な敷地に整備してあります。
また,入口のガイダンス施設「志波城古代公園案内所」では,
志波城や東北の古代史について
理解を深めることのできる展示室があり,
復元した官衙建物内の展示室では
コンピューターグラフィックで当時の姿を見ることができます。
志波城址の歴史について
【歴史、城柵】
城柵(じょうさく)とは,奈良時代から平安時代にかけて,
当時エミシと呼ばれていた東北地方の人々を
朝廷が統治するために設置された,行政府(役所)です。
志波城(しわじょう)は,
古代陸奥国(むつのくに)最北端・最大級の城柵として,
坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)により,
803年(延暦22年)に造営されました。
しかし造営後約10年で,雫石川の水害を理由に,
その役割を徳丹城(とくたんじょう)に移しました。
志波城跡は東北の古代史上重要な歴史遺産として,
国の史跡に指定されています。
【構造】
外郭は840m四方の築地塀と
928m四方の土塁をともなう外大溝によって二重に区画されています。
外郭築地塀南辺中央には、五間一戸の外郭南門が、
また築地塀をまたぐように櫓が約60m間隔で設置されています。
郭内には、中央やや南寄りに150m四方を築地塀で囲み、
正殿・東西脇殿など14棟の掘立柱建物跡が
配置されている政庁、その周囲に官衙域、
外郭内側1町(約108m)幅で兵舎や
工房としての機能を持つ竪穴住居群が
1,200~2,000棟ほど配置されていたと考えられています。
外郭南門から政庁南門には、幅約18mの南大路で連結されていました。
郭内北部には、小河川を取り込む構造だったと推測されています。
物資の運搬等に運河として使われた可能性も指摘されています。
【徳丹城への継承】
志波城は、雫石川氾濫による水害のため北辺部分を失い、
後に南へ下った現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田の地に
徳丹城が造営されることでその機能を移転し、約10年で役割を終えました。
現在でも、志波城の北辺部には、水害の影響で形成されたと思われる段差が残っています。
【地名】
シハ(しわ)の表記「志波」「斯波」「紫波」とありますが、
この城跡を指す場合は「日本紀略での表記である「志波」が定着しています。
一方、斯波は中世の「斯波氏」にかかわる事象をあらわし、
紫波は現在の「紫波郡」での使用が一般的となっています。
(高水寺城址のある場所)
また、別の説として、
当時として朝廷の支配力が及ぶ最も遠方の地域を示していた説もあります。
その由来は、
日本最北の延喜式内社「志賀理和気(しがり・わけ)神社」(紫波町桜町)からです。
発掘調査
昭和51~52年(1976年-1977年)に、
東北自動車道建設にともなう
岩手県教育委員会の発掘調査中に
築地塀や大溝、竪穴式住居跡が発見され、
その後の範囲確認調査の成果を受け、
1984年に「志波城跡」として国の史跡に指定されました。
「日本紀略」延暦22年(西暦803年)条初見の
志波城の所在地は諸説あり、長らく不明でしたが、
太田「方八丁(ほうはっちょう)」という地名が
八町四方の外郭を持つ城郭の姿と一致したため、
有力な確定根拠の一つとなったのです。
所在地:岩手県盛岡市下太田方八丁ほか
指定年月日:昭和59年(1984年)9月14日
指定面積:63万5977.64平方メートル
公有化:昭和61年(1986年)より
復元整備:平成5年(1993年)より
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