西方貝塚(茅ケ崎市下寺尾)
史跡

西方貝塚(茅ケ崎市下寺尾)

縄文時代前期(6~7000年前)頃。
所在地:茅ケ崎市下寺尾601付近。
相模野台地の南西端の北部平たん部で海抜は12メートル。
縄文時代前期はこの辺りが海岸線だったそうです。
出土品は縄文式土器(関山式、黒浜式,上坊式)、
石器(削器、打製石斧、石鏃)、
ヤマトシジミ、チョウハマグリ、カキ、サザエなど。
小出川と駒寄川の河口には海水と淡水が入り交じるラグーン(潟湖)が形成され、
ヤマトシジミが生息していました。
また、この西方貝塚を含む場所で
弥生時代の環濠集落の跡も発掘されています。
(弥生時代中期、2000年前)
空堀(巾3メートル、深さ2メートル)に囲まれたムラで、
関東では最大級の規模であるとされています。
この西方貝塚を含む高座郡家(高座郡衙)、七堂伽藍跡、
川津(船着き場)、2カ所の祭祀跡を包括して、
下寺尾官衙遺跡群として
平成27(2015)年3月10日に国の史跡に指定されました。

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投稿者

神奈川県




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