源範頼の墓~伊豆・修善寺にある鎌倉時代の史跡

源範頼の墓

源範頼の墓

伊豆・修善寺にある、源範頼の墓をご紹介申し上げます。
源範頼 (みなもと-の-のりより)は、鎌倉時代初期の武将で、河内源氏源義朝の6男として、1150年頃に生まれました。

源範頼の墓

異母兄弟に、源頼朝源義経阿野全成などがいます。
兄・源頼朝が挙兵してから数年後、木曽義仲討伐の際には、鎌倉勢の大将となって活躍しています。
その後、平氏滅亡にも功績があり、武蔵・吉見などに領地も与えられました。
源頼朝の側近である安達盛長の娘・亀御前を、正室に迎えています。



1193年、曽我兄弟仇討ちの際、誤って「源頼朝が討たれた」と鎌倉に初報が届きます。
知らせを聞いた北条政子に対して「範頼ある限りご安心ください」といったことから、源範頼は謀反の疑いを招いたとされています。
3ヶ月後、源範頼は、家人で武勇名高い当麻太郎を、源頼朝の寝所の下に潜りこませました。
しかし、当麻太郎は、源頼朝に気配を感じられ、結城朝光らによって捕まります。
この1件で、源範頼は、1193年8月17日、伊豆・修善寺にある修禅寺に流刑となりました。

源範頼の墓

修禅寺に幽閉されて、伊豆の御家人である狩野宗茂、宇佐美祐茂が監視しています。
それからまもなく、源範頼は処刑されたと言う事になります。
諸説ありますが、修禅寺八塔司(はったす)のひとつである、信功院にいたところ、急襲を受けて防戦するも、自刃して果てたともされています。

詳しくは、下記も合わせて、ご覧頂けますと幸いです。

源範頼の解説 源義経の次に処罰された源氏

源範頼の墓がある場所への行き方ですが、徒歩で入れる細い道を進むことになります。
車道から3分ほど登った、山の中腹にある住宅地のところに、あると言う感じです。
もともと、源範頼の墓と伝わる祠があっただけでしたが、明治12年に骨壺が掘り出され、源範頼の墓として整備されました。

源範頼の墓

下記の地図だと、分かりやすいので、表示しておきます。
地図の右下から、坂道を登って行って「芙蓉」と言う和風喫茶を目指して行くと、分かりやすいです。

きつい坂道ではなく、すぐに到着致しますが、行き方が分かりにくいので、迷った際には、上記の地図でご確認頂けますと幸いです。

交通アクセスとしては、伊豆箱根鉄道・修善寺駅よりバスで所要約8分「修善寺温泉駅」バス停下車して、徒歩約10分となります。
駐車場はありませんので、温泉街のはずれにある近くの有料P「小山駐車場」が便利で、徒歩5分といったところです。
もちろん、修禅寺とセットでどうぞ。

また、修善寺には、別の場所に「源頼家の墓」もあります。
この源頼家は、鎌倉幕府2代将軍のことで、源頼朝の嫡男で、北条政子が産んだ子となります。

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