江川邸の解説【伊豆・韮山】韮山代官所・江川氏の歴史

伊豆・江川邸

江川邸とは

江川邸(えがわ-てい)は、静岡県伊豆の国市韮山韮山1にある国の重要文化財「江川家住宅」で、有料公開されています。
江川家住宅(江川邸)は、江戸時代に屋敷の北側にあった韮山代官所の代官を務めた、江川氏の館となります。
NHK大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」、映画「山桜」、日曜劇場「JIN-仁」などのロケでも使わています。
下記の江川邸の門です。

江川邸

韮山代官所

韮山代官所(にらやまだいかんしょ)が設置されたのは、徳川家康江戸城に入った6年後の1596年とされます。
1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、激戦となった、韮山城の麓に代官所が設置されました。


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もともと、平安時代末期、韮山に入ったのは宇野氏(江川氏)でして、源頼朝の挙兵にも宇野治長(江川治信)が参加していたとされます。
また、北条早雲が伊豆に侵攻した際に、江川英住は、韮山城を提供して臣従したようです。
このような経緯もあり、1590年、豊臣勢の韮山城攻撃に際しては、江川英吉(えがわ-ひでよし)は北条勢として籠城し、子の江川英長は出奔して徳川勢に加わっていたため、親子で敵味方に分かれて戦っています。
小田原城が陥落すると、江川英吉・江川英長は許されており、徳川家康に仕えて所領安堵となりました。

伊豆・江川邸

なお、江川氏は、平安時代末期に伊豆に来てから、長年、酒造業も行ったようで、鎌倉時代には執権・北条時頼に、酒を寄進して褒められたともあります。
江川酒(江川樽)と呼ばれた名酒は、戦国時代に仕えた北条家だけでなく、結城政勝・今川義元織田信長・徳川家康・上杉謙信にも進呈されており、京都でも人気だったようです。

1593年、上総・勝浦城主である正木頼忠の娘・お万の方(養珠院・蔭山殿)が、江川英長の養女となって、徳川家康の側室に上がっています。
<注釈> 1584年には、母親(北条氏尭の娘?)が伊豆・河津城の蔭山氏広と再婚しており蔭山氏広の養女でもある。蔭山氏広は伊豆・山中城で敗れたあと修善寺で謹慎している。
なお、お万の方は、徳川頼宣、徳川頼房を産んでいる。


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その後、1596年、江川英長は徳川家より、韮山代官を命じられました。
ただし、伊豆国の多くは、三島代官所の管轄であり、韮山領は、約5000石だったようです。
江戸時代中期の1759年、三島代官所が吸収合併され、旗本・江川英征が韮山代官となると、伊豆国の幕府領はすべて、韮山代官所の支配となりました。
その後も、江川氏が、代々韮山代官を世襲し、明治維新を迎えることになります。

なお、韮山代官は、夏は江戸に滞在し、冬には韮山に常駐しました。
江戸にも役所が置かれており、江戸では主に武蔵・相模・甲斐にある幕府領を担当しています。
韮山の役所では、伊豆・駿河の支配を担いました。
とても、忙しそうですね。

伊豆・江川邸

合計5万石~10万石を管理していたため、支所とでも、申しましょうか?、伊豆国田方郡には三島陣屋、甲斐国都留郡には谷村陣屋、駿河国富士郡には松岡陣屋、相模国津久井県太井村には荒川分一番所(津久井湖の湖底)も、置かれています。
このように、韮山付近だけを管轄した訳ではなく、かなり広範囲が担当区域でした。
しかし、江戸時代、1度も一揆が起きなかったそうでして、幕府からも信頼されていたのでしょう。
韮山代官所で勤務していた有能な人物としては、柏木忠俊などがいます。

伊豆・江川邸

また、幕末には、鎖国していた日本において、海防の第一人者となった、代官・江川英龍を輩出しています。
36代・江川英龍(えがわ-ひでたつ)は、大砲製造のため、韮山反射炉(世界遺産)や品川台場を建設するなど、西洋砲術を広め、佐久間象山大鳥圭介橋本左内・桂小五郎(木戸孝允)・伊東祐亨など、そうそうたる志士が弟子になっています。
また、1842年には、軍隊用の食料開発として、日本で初めて、乾パンを製造し、日本でパン食が普及する原型となりました。
更には、体育などで使われる「気をつけ」「右向け右」「回れ右」などの掛け声を考案して、西洋式軍隊を日本で初めて組織したのも、江川英龍になります。
明治に入ると、江川家の江戸屋敷は、慶應義塾の外塾としても使われています。
江川英龍に関して、詳しくは下記をご参照賜りますと幸いです。

韮山代官「江川英龍」の解説

現在も江川家は続いており、42代・900年の歴史を誇る大和源氏の末裔です。
そして「江川邸」(江川家住宅)は、1600年頃、江川英毅が建てたもので、現存する邸宅建築では日本最古の建物となります。

伊豆・江川邸

江川邸ではスタッフが、邸内のガイドも行なって頂けます。

交通アクセス

電車の場合、伊豆箱根鉄道・駿豆線り韮山駅で下車して、徒歩20分となります。
クルマの場合、すこーしだけ離れますが、無料の駐車場が完備されています。
駐車場の場所は、当方のオリジナル地図でも、ポイントしております。
入館時に、韮山反射炉との共通券を購入すると、大変お得に見学できます。

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