春姫とは・如蔵尼とは【国王神社】平将門を祀る岩井営所近くの延命寺も

国王神社

如蔵尼

如蔵尼(にょぞうに) は平安時代の女性で生没年は不詳。
父は平将門で、その3娘?が如蔵尼とされ、別名は地蔵尼(じぞうに)とも呼ばれる。
姉妹としては、五月姫、平忠頼の正室になった春姫がいる。
名前は滝姫ともされ、諸説ありわからないことが多いが解説してみたい。


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940年、如蔵尼の父・平将門が討死すると会津に逃れたようで、恵日寺(福島県磐梯町)境内に庵を結んで過ごしたと伝わる。
美女だったようだが求婚を断り生涯独身を貫いた。
会津には2箇所ほど、平将門の娘・如蔵尼の墓とされる墓碑があると言う。

平将門の娘が寺に入り、父の罪業のため地獄に落ちたが、地蔵に助けられたと言う伝承があり地蔵尼(じぞうに)の由来となっている。

春姫

春姫(はるひめ)も平安時代の女性で平将門の娘(次女)とされる。
平忠頼(平良文の子)の正室になった。
姉に五月姫(さつきひめ)、妹に如蔵尼がいたとされる。


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平忠頼の正室になっていた春姫は、地元の岩井郷に隠れ住み、名を如春尼(にょしゅんに)と改めて一族の菩提を弔ったとされる。
春姫が産んだ子は3人いる。

長男・平忠常千葉氏の祖となった。
千葉常重、千葉常胤ほか原虎胤、高城胤則、臼井景胤、井田胤徳、大須賀政常など一族が多い。
次男・平将恒秩父氏(秩父平氏)の祖。
秩父氏からは畠山重忠河越重頼、江戸重長など小山田氏、稲毛氏、榛谷氏、畠山氏、河越氏、江戸氏、渋谷氏、東郷氏、豊島氏、葛西氏、吉見氏などが出た。
3男・平頼尊(山辺禅師)の子孫は中村氏を称し、中村宗平土肥実平らを輩出し、山辺氏、笠間氏、小早川氏、土屋氏、二宮氏、神保氏と繁栄した。

3女・五月姫(母は桔梗か?)は、父の復習を果たそうと自ら祈願して妖術を得て「滝夜叉」(たきやしゃ)と言う蝦蟇(ガマ)になったともされる。

国王神社

国王神社(こくおうじんじゃ)は茨城県坂東市岩井にある神社。
平将門の3娘・如蔵尼は、父・平将門の33回忌にあたる天禄3年2月(972年)岩井に戻った。

国王神社

会津で悪夢を得て、急いで下総に帰郷すると、岩井の村人に父の最期の地を尋ねたと言う。
そして、岩井営所近くの山林に霊木(怪木)を発見して、平将門の像を刻み、祠を建て安置したと伝わる。
これが国王神社(國王神社)の創建とされ、国王大明神や将門大明神の古称がある

国王神社

そのため、平将門を終焉の地ともされる。(他にも終焉の地がある)

延命寺

延命寺 (えんめいじ) は、茨城県坂東市岩井にある寺院で、正式名は医王山金剛院と言い、真言宗豊山派のお寺になる。

もともとは石井営所の鬼門避けとして島広山(国王神社)近くにあったようだが、藤原秀郷平貞盛らが石井営所を焼き討ちにされた際に延命寺も焼失したと言う。
ただし、まさかどの守り本尊である薬師如来像は薬師堂から持ち出して難を逃れたと言う。

山門は室町時代の1445年に建てられた建造物で、当時、下総・守谷城主の相馬氏(平将門の子孫)が再興した。

延命寺

現在の場所には、江戸時代の享保年間(1716年~1736年)国王神社の神職が飯塚氏に変わり、住職は自ら寺域を現在地に移転させたようだ。

延命寺の近くには石井の井戸もある。

交通アクセス

国王神社や延命寺の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

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