宝珠寺・北の寺(辻堂元町)~同行二人(どうぎょうににん)~

宝珠寺・北の寺(辻堂元町)~同行二人(どうぎょうににん)~

宝珠寺~北の寺~

神奈川県藤沢市辻堂元町2丁目4番27号所在の
宝珠寺(ほうしゅじ)を紹介します。
高野山真言宗の寺院で山号は八王山、別名は北の寺といいます。
歴史:
文治年間(1185年 ー1190年)頃に
元朝により開山し創建されました。
また、天福元年(1233年)に
覚源の開山により創建されたとする説もあります。
当初は、八松ヶ原久保田の辻にありましたが、
(現在地:四つ角と呼ばれる場所。辻堂元町3-8付近)
元禄7年(1694年)に火災にあい現在地に移転したとされ、
辻にあった宝珠寺の不動堂が辻堂の地名の由来であるともされております。

本尊
不動明王立像 :
像高96.0センチメートル、総高144.8センチメートル。
平安後期作、割矧造と推定されています。

相模国準四国八十八箇所 9番 として弘法大師像があります。
また、7月1日の大山開きの日には、
四ツ谷不動及び阿夫利神社の一の鳥居がある四ツ谷地区で、
この宝珠寺の住職のもと、護摩供養が行われるとのことです。

鐘楼もあります。

下の写真にある「八松山」ですが、
昔はこの辺りは「八松原」と呼ばれており、
平家物語にも記されています。
また、このお寺の向かいにある丘は今でも、
砂丘と松林があって辻堂の原風景が残っている貴重な場所です。

なお「辻堂」という名称は、
文献では「小田原衆所領役帳(おだわらしゅうじょりょうやくちょう)」
に記されているものが現時点での最古のもので、
永禄年間(1558~1570)までさかのぼります。

「二ッ谷稲荷」~「宝泉寺・諏訪神社」~
「北町道祖神」~「宝珠寺」~「熊の森権現」は
藤沢市のハイキングコースにもなっているようです。

アクセス:JR東海道線「辻堂」駅南口
徒歩10~15分程度
<注意!>
グーグルのナビで歩いてきたら、
お寺の裏側になる墓地に着いてしまいました。
墓地の前には広場があり、どうやら駐車スペースになっていて
時期が来たら門を開けるようですが、
訪れた時は閉まっていたので
垣根の空間から「失礼しま~す」と入ってきました。

<検索時には「辻堂元町」を入れる>
「宝珠寺」という名称のお寺はいくつかあるので、
お寺の名称だけですと、
現在地から最も近い「宝珠寺」が出てきます。
ご注意ください。

<同行二人>
「どうぎょうににん」と読みます。
常に弘法大師とともにある、という意味で、
巡礼の際、
一人で歩いていても常に弘法大師が傍にいてお守りくださる、ということです。

庚申供養塔 ・藤沢市指定の有形民俗文化財

境内にある寛文6年(1666)の庚申供養塔です。
藤沢市指定の有形民俗文化財です。
1977年4月13日に指定されました。
寺の看板にこの庚申供養塔の説明があります。
塔身前面に花頭框を彫りこみ、三つの花頭下に
造立銘文一行ずつ当てて彫り、
その下に三猿象を正面向きに半肉彫りにしてあります。
その姿態は「おとぼけ」風で親しみやすい、とのことです。

その他、古い石像が数多く並んでありました。 

庚申信仰:
十二支十干の組み合わせで60日に1日巡って来る「庚申の日」。
その日は眠らずにすごし「無病息災、長寿」を願います。
「庚申の日」は
「人の体内にいる三戸(さんし)の虫が庚申の夜に天に昇って
その人の罪過を天帝に告げるために命を縮められる」
という中国の道教の教えからきているそうです。

江戸時代の万治・寛文年間(1658-1672)頃に仏教を背景に
庶民の間に広く広まりました。
「庚申講」が結ばれて庚申の夜は講中の人々が当番の家に集まり、
夜通し酒食歓談をして過ごす庚申待の行事や
庚申供養塔を建てたりと盛んになりました。
この信仰は大正時代に急速に失われて行きました。

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