安達盛長の墓(安達盛長の供養塔)~厚木「金剛寺・大師堂」飯山の地に安達氏の舘があった可能性も

安達盛長の墓(安達盛長の供養塔)

安達盛長の墓(安達盛長の供養塔)

神奈川県厚木市に、伝承で安達盛長の墓(安達盛長の供養塔)とされる墓石があります。
安達盛長の墓(安達盛長の供養塔)とされるものは、伊豆・修善寺にあるのが、一番有名かと存じます。
しかし、神奈川県にも3箇所程度、これからご紹介する金剛地のと、三田・聖眼寺、そして安達盛長が創建したと言う、三田・八幡神社の北にある室町時代の宝篋印塔のうち、1基も、安達盛長の供養塔とされます。
他県では、あとは、安達盛長館があったとされる鴻巣・放光寺、その他、三河守護を務めていた経緯もあり、三河・長泉寺にも、安達盛長と伝わる墓が存在します。
今回は、そのうち、神奈川県厚木市飯山温泉近くにある安達盛長の供養塔をご紹介申し上げます。



安達盛長の供養塔(安達盛長の墓)がある場所ですが、金剛寺(華巌山・遍照院)の入口から参道を進むと、参道の左手に、赤い屋根の大師堂が見えて参ります。
その大師堂の右側にある、山肌の下になる箇所に、五輪塔が経っています。

安達盛長の墓(安達盛長の供養塔)

案内板などは特になく、訪問時は、トップ写真のように、草が生い茂り、あまりよく見えませんでした。
9月で、蚊がたくさんいたので、すぐに退散した次第です。



金剛寺(華巌山・遍照院)は、平安時代初期の807年、弘法大師が開基したとされ、大師堂には、弘法大師の像が安置されていたようです。
ただし、江戸時代には、三田にある清源院の末寺になっていたのが、華巌山遍照院金剛寺と言う事です。
今でも、朽ち果てそうな、大師堂を拝見しますと、心が痛みます。

金剛寺・大師堂

ちなみに、三田の清源院は、戦国時代に、北条早雲(伊勢宗瑞)に味方して、三田郷を領した、越智弾正忠の屋敷が近くにあったと推測されますが、鎌倉時代には、安達氏の舘があったとも考えられています。
このように厚木・三田は、安達氏の領地のひとつであり、飯山観音は、安達盛長の子・安達義景が、堂宇を建立したのが、始まりともされています。
金剛寺(華巌山・遍照院)は、飯山観音堂の別当寺(管理者)を、長年勤めてきたといいます。
となると、飯山も安達氏の所領だった時があったのでしょう。

金剛寺(華巌山・遍照院)

ちなみに、安達盛長の没年は、正治2年(1200年)で、享年66です。
この没年より前、すなわち横山党が全盛期のときや、源頼隆が愛甲郡にいた時代に、安達氏が所領を持っていたとは考えにくいと、当初、思っていました。
鎌倉幕府が成立した頃には、横山党の支配下または、源義隆の毛利荘の一部と考えらるためです。

まず、源頼隆ですが、源義家(八幡太郎義家)の7男である源義隆が、愛甲郡毛利荘を領してからの毛利荘の領主です。
しかし、1159年、源頼朝が伊豆に流罪になったように、源頼隆も下総に流罪となりましたので、1160年頃からの毛利荘を誰が領したのかは不明といったところです。
ただし、1180年、源頼朝が鎌倉を制圧すると、源氏一門の源頼隆は毛利頼隆となって、毛利荘に復帰しています。
源頼朝が死去すると、毛利頼隆(若槻頼隆)の次男・森頼定は、相模国毛利庄を継承して、森姓を称しました。
この毛利荘・森氏の子孫としては、戦国時代に織田信長の重臣として活躍した、美濃の森可成森長可森蘭丸などが知られます。



他には、吾妻鏡にて、1182年に、近藤太能成が、山狩りや蚕養などの公事を課したため、金剛寺の僧侶が、幕府に訴えたとあります。
<注釈> この公事(くじ)を課したと言う意味は、金剛寺の領地にて、税(臨時?)を、山狩りを行ったり、蚕養などにも税を課したと言う事。

近藤太能成なる武将は、横山党の一族・近藤能成(古庄能成)のことで、相模国愛甲郡古庄郷司ですので、飯山も古庄郷の一部だった可能性が高いです。
近藤氏としては、戦国時代、北条氏照の重臣・近藤綱秀などがいます。
近藤能成の妻は、波多野経家の3娘・利根局で、子に大友氏の租である大友能直がいます。
大友能直が、母の実家である波多野経家(大友経家)の領地を継いで、相模国足柄上郡大友郷に移ると、横山党の愛甲季隆など愛甲氏の領地になったと考えられます。
その後、大友氏は、九州にて残り、戦国大名大友宗麟を輩出しています。

鎌倉期の領地は、ここから、ここまでと、厳格に境界線が決められた訳ではありません。
あいまいなため、隣どおし、領地の範囲で争いとなり、武家から訴訟も多いことでも、わかります。
飯山が、近の名称の領地のうち、どの荘に加わっていたのかは、不明といったところです。
ただし、地元の寺や神社を創建した人物が伝わっていれば、だいたい、その時代の領主を想像できます。



三田・八幡神社は、1192年に、安達盛長が社殿を再建したとあります。
そのため、1192年の段階で、三田が安達盛長の所領のひとつになっていた可能性が高いです。
となると、飯山あたりも、安達氏の領地だったのかも知れません。

1213年、和田義盛の乱にて、横山党や愛甲氏は壊滅し、毛利荘は大江広元に与えられました。
そして、4男・毛利季光が、毛利荘の領主になりますが、なんと、飯山に屋敷を構えたともあります。
一般的には、厚木市下古沢の三島神社が毛利氏館とされますが、重要な地・飯山にも屋敷があったのでしょう。
毛利季光の子孫は、戦国時代の毛利元就などが知られます。

その毛利一族も、1247年、宝治合戦にて、鎌倉にある北条義時の法華堂に立てこもり、三浦一族と運命を共にし、事実上、滅亡しました。
生き残った毛利一族は、安芸にて勢力をつけ、戦国時代には毛利元就を輩出しています。
宝治合戦では、安達景盛が、執権・北条時頼に味方して勝利しており、安達氏は、鎌倉幕府の御家人ではNo1の地位へと登って行きます。

金剛寺(華巌山・遍照院)

そして、安達景盛は、蒙古襲来のさなか、北条時頼を支え、日本の勝利にも貢献したと言えます。
金剛寺・大師堂の周りには、たくさんの地蔵が奉納されているようです。

金剛寺・大師堂

その大師堂に関しては、新編相模国風土記によると、下記の通り記載されています。

安達藤九郎盛長墓。
五輪の塔なり梵字を刻す、寺傳に法名盛長院三空道無大居士と號す、治承の頃盛長當所に来り靈地なるを感じ、卒後其遺骨を送りて葬すと云。

と言う事で、金剛寺には、安達盛長の位牌(盛長院三空道無大居士)が残されています。
治承の頃とありますので、1177年から1181年(源頼朝が挙兵したのは1180年)の頃に、三田郷(散田郷)を領した安達盛長は霊感を感じ、死去したあと、遺骨を送るよう遺言をしたような記述のようです。



安達盛長の死後、御家人筆頭となった安達泰盛でしたが、内管領・平頼綱は対立すると、鎌倉時代後期の1285年、霜月騒動(しもつきそうどう)になります。
このとき、安達氏は攻撃を受けて、多くの一族が亡くなりました。
秋田城介・安達義景の子である安達時景は、鎌倉から相模国飯山に逃亡して、立て籠もりましたが、殺害されたとあります。
この時、逃れた先が、飯山・金剛寺と言う事になっています。
恐らく、飯山にも、安達氏の屋敷があったことが、伺えます。



1200年の歴史を誇り、最盛期には、七堂伽藍と、大変豪華な金剛寺(華巌山・遍照院)だったようですが、今では、檀家さんもほとんどいないのか?、廃寺になりそうな雰囲気です。
大師堂も、大きな地震でも来たら、倒れてしまうかもしれません。
国指定の重要文化財である、木造阿弥陀如来坐像を有する、歴史ある寺でもあります。

飯山・金剛寺

南北朝時代の前なのか?は不明ですが、飯山・金剛寺の寺紋は足利家の「二つ両引紋」になっているため、足利尊氏や、鎌倉公方・足利氏の寄進もあったのでしょう。

1436年、日蓮宗の僧、日朝上人が飯山・金剛寺に、一切経の見学に赴いた際に、相模川が豪雨で渡れなかったあり、海老名の大島豊後守正時の屋敷(大島屋敷)に泊めてもらったとされます。

徳川家康江戸城に入ると、1591年、寺領5石の御朱印状が与えられています。
5石ですと、まぁ、最低限とも言えますが、飯山観音(観音堂)は3石ですので、江戸時代初期でも、金剛寺のほうが、ちょっと格上であることが、伺えます。

飯山・金剛寺

地元のお祭りなどで、寄付を募ったりして、まずは、伝承がある安達藤九郎盛長墓の周りを整備するなど、金剛寺が末永く、後世に残って欲しいと、願う次第です。

交通アクセス

本厚木から、バスに乗車して、飯山観音前バス停下車し、約200m、徒歩3分の距離です。
駐車場らしきものは無いのですが、路肩が広いところがあり、駐車禁止でもないようなので、クルマは止められます。
当方のオリジナル地図でも、わかるようにポイントしておきます。
赤い橋を渡ったら、すぐ、右折する感じです。



また、飯山花の里にもなっていることからか、参道入口脇に、簡易トイレですが、清掃されているトイレもあるようです。
近い史跡だと、毛利氏発祥地(毛利荘)などもありますので、お車の場合には、セットでどうぞ。

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