鎌倉・岩船地蔵堂~大姫お守り本尊が祀られている立派なお堂

鎌倉・岩船地蔵堂

岩船地蔵堂とは

岩船地蔵堂(いわふねじぞう)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷3丁目にあるお堂です。
鎌倉幕府の初代将軍になった源頼朝の長女・大姫(おおひめ)を供養する岩舟地蔵尊が祀られてた地蔵堂と伝わり、日本三大岩船地蔵(下野・岩船山の高勝寺など)のひとつになります。
江戸時代初期の1691年に、地蔵堂ができ、追加で木造地蔵尊が安置されました。
その木造地蔵尊の胎内の銘札に「大日本国相陽鎌倉扇谷村岩船之地蔵菩薩者當時大将軍右大臣頼朝公御息女の守本尊也」と記載されているそうです。
鎌倉・岩船地蔵堂は、住宅地の一角にあり、鎌倉時代には近くに中原親能の邸宅があった模様です。

岩船地蔵堂

木曽義仲が源頼朝に降伏し、木曽義仲の子・木曽義高(源義高)が、人質として鎌倉に入ると、大姫は、子供の頃から婚約していました。
しかし、木曾義仲が裏切ったため、北条政子と大姫(7歳くらい)は、木曽義高(源義高)(12歳くらい)を逃がしますが、入間にて捕まり、殺害されます。
北条政子が供養をし、木曾義高を祀った狭山・清水八幡宮が、現地にあります。

この悲劇に、大姫は、今で言う「うつ病」になったようで、源頼朝は1194年に、大姫の治癒祈願のため、霊山寺(日向薬師)を参詣し「大太鼓」を奉納したとされます。
しかし、大姫は、長年、床に伏して苦しみ、20歳の若さで亡くなりました。


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多くの鎌倉御家人も、野辺送りに参加したと伝わり、大姫は勝長寿院(北条政子が晩年を過ごした寺)に、埋葬されたとも考えられます。
<注釈> 野辺送り(のべおくり)は、亡骸を、埋葬地・火葬場などまで、運び送ること。また、勝長寿院には、源頼朝の父・源義朝の遺骨も葬られている。

岩船地蔵と言うのは、船に乗ったお地蔵さんと言う事になり、源頼朝の娘・大姫の守り本尊とされます。
江戸時代に人気となったため、意外と各地にありますが、実際に、船にお地蔵さんが乗っている石仏であることが多いです。

外の格子を覗くと、拝見できるのは、手前にある木造地蔵尊のみで、奥にある石造地蔵尊は見れません。
なお、伊豆石で造られた地蔵尊は、
岩船地蔵堂は、鎌倉・海蔵寺さんによって、管理されているそうです。

なお、大姫の墓と伝わる墓所は、ここではなく、大船・常楽寺の裏山の途中にあり、裏山のてっぺんには、木曽義高の墓とされる木曾塚もあります。

交通アクセス

北鎌倉駅方面に徒歩で抜けられる、亀ヶ谷坂の鎌倉川入口にあります。
JR鎌倉駅の西口からだと徒歩20分。
JR北鎌倉駅からだと、約1.5km、徒歩25分といったところで、駐車場はありません。


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お勧めのハイキングコース(史跡・寺院めぐり)としては、下記のルートがお勧めです。
北鎌倉駅から、有名な円覚寺東慶寺明月院、長寿寺、建長寺などを見学しつつ、亀ケ谷坂切通(国指定史跡)を歩いて抜けて、この岩船地蔵堂、英勝寺北条政子の墓がある寿福寺といった感じで、所要、約6時間といったところでしょうか?

岩船地蔵堂

今回は、扇ガ谷巡りにしていたため、次は、水鑑景清大居士の碑へ向かいました。

鎌倉など関東の史跡めぐりにも便利なオリジナル関東地図
北条政子の解説【尼将軍と呼ばれた御台所】鎌倉殿の13人
大姫の解説【源頼朝・北条政子の長女】
木曽義高の解説【鎌倉殿の13人】
中原親能の解説【鎌倉殿の13人】朝廷・公家との交渉役
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鎌倉・海蔵寺の歴史解説~底脱の井・手掘りトンネルの先にある十六の井

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