指月殿~修善寺温泉にある北条政子建立の伊豆最古・木造建築物

指月殿

指月殿とは

指月殿(しげつでん)は、伊豆修善寺温泉にある経堂(御堂)で、木造建築物としては伊豆最古となります。
建立されたのは鎌倉時代で、北条政子が、この地で殺害された、子の源頼家(鎌倉幕府2代将軍・享年23)を供養するため、建てました。

指月殿

北条政子じたい、自分の長男である源頼家を、見放して、次男の源実朝を3代将軍にすえるのに、加わったとも考えられますが、その胸中はどのようなものだったのでしょう?

尼将軍とも呼ばれ、悪名高いともされる北条政子ですが、仏教の経典・宋版大蔵経(だいぞうきょう)、釈迦三尊繍仏(しゅうぶつ)なども、合わせて寄進されており、修禅寺の門前にある虎渓橋も、新しく架け替えたと伝わります。

納めた宋版放光般若経は、5000~6000巻もある一切経だったようですが、現在残されているの8巻ほどのようです。
そのうち、23巻の末欄外には「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提 尼置之」の墨書があり、北条政子直筆ともされているとの事です。

指月という名前の由来は、禅の世界での禅宗の根本的立場を示す「不立文字」の「指月」から取られたという事らしいのですが、私には、よく理解できませんでした。


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指月殿正面に掲げられたている扁額(本物は修禅寺にて保管)には、1299年と入っているようで、一山一寧(いっさんいちねい)の筆によるものです。
二度の元寇に、なんとか勝利した日本でしたが、一山一寧は、元のクビライが派遣した僧だったため、スパイの疑いを掛けられて、執権・北条貞時により、修禅寺に幽閉されました。

指月殿は、1982年(昭和57年)7月から約2年をかけて、修復作業が行われて、よみがえりました。

グリーン・ミシュランこと「ギド・ヴェール」の修禅寺エリアでは、修禅寺、竹林の小径、そして指月殿が、共に二つ星を獲得しています。

指月殿のすぐ左隣りには、源頼家の墓もあります。

交通アクセス

指月殿への交通アクセス・行き方ですが、伊豆箱根鉄道の終点・修善寺駅から、東海バスの修善寺温泉行きに乗車して、終点バス停下車し、徒歩10分になります。
駐車場はありませんので、温泉街に点在する有料駐車場利用です。
なお、指月殿がある場所ですが、ちょっと、分かりにくいです。
内藤ルネさんと、手作り品「井」さんの間あたりの小道を、1分ほど登ったところになります。
当方のオリジナル観光地図でも、場所をポイントしてありますので、ご確認頂けますと幸いです。


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修善寺には、別の場所に「源範頼の墓」もあります。
この源範頼(みなもと の のりより)は、源頼朝の弟、源義経の兄であり、父の兄弟となる武将になります。

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