浄光明寺の基本解説~足利尊氏が謹慎するも後醍醐天皇との戦いを決断した鎌倉の地

浄光明寺

浄光明寺とは

浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある、真言宗・泉涌寺派の寺院です。

本尊 : 阿弥陀如来
創建 : 1252年
開基 : 北条長時
文化財 : 阿弥陀三尊像(国の重要文化財)など
公衆トイレあり

下記は藤谷黄門遺跡の碑で、水戸黄門が江戸時代に訪れたとの事。

藤谷黄門遺跡の碑

始まりは、源頼朝の命により、文覚が草庵を建てたとされます。(島津忠久が建てたとも)
その後、鎌倉時代の建長3年(1251年)頃に、第5代執権・北条時頼と、第6代執権・北条長時が開基となって創建したのが、浄光明寺になります。
開山は真阿(真聖国師)で、北条氏の菩提所にもなりました。


スポンサーリンク



山門を入ると、客殿、庫裏、不動堂などがあります。
その裏手が一段高くなった平坦地で、阿弥陀堂(仏殿)などがあります。
また、崖には、国の史跡になっている冷泉為相の墓、があります。

浄光明寺

冷泉為相(れいぜいためすけ)は、小倉百人一首などでよく知られる藤原定家の孫である公卿・歌人で、鎌倉の藤ヶ谷(ふじがやつ)にも邸宅がありました。

また、新田義貞の軍勢が鎌倉を攻撃した際に、州崎古戦場にて自刃した、鎌倉幕府第16代・最後の執権である北条守時(赤橋守時)の墓も、1段高くなったところの、やぐらにあるはずです。
しかし、裏手は「立入禁止」になっておりまして、各お墓関係は、お参りすることは、叶いませんでした。

浄光明寺

あとで調べましたら、拝観できるのは、下記のように日時限定のようです。(奥以外の境内は、9時~16時に見学可能)

有料拝観
土曜・日曜。祝日
朝10時~12時、13時~16時
※雨天と8月、年末年始は中止

鎌倉幕府が滅亡したあと、1335年、後醍醐天皇に反旗を翻し、挙兵する直前、謀反の意思はないと、足利尊氏は鎌倉の寺にて謹慎・出家しますが、その寺が浄光明寺だとされます。

浄光明寺

交通アクセス

JR鎌倉駅の西口から、歩いて約20分の距離です。
駐車場はありませんので、離れたコインパーキングに止めてから徒歩となります。

このあとは、岩船地蔵堂へ向かいました。

赤橋守時(北条守時)とは 鎌倉幕府最後の執権(16代)も・・・
箱根・竹ノ下の戦い「わかりやすく解説」竹之下合戦古戦場碑・竹之下古戦場
5分で分かる足利尊氏~人望で逆境に打ち勝った室町幕府の創始者~
朝廷と直接対決!!足利尊氏の戦い 室町幕府成立へ
後醍醐天皇の負けず嫌いな執念と室町幕府や南北朝時代になった背景
鎌倉・海蔵寺の歴史解説~底脱の井・手掘りトンネルの先にある十六の井
鎌倉など関東の史跡めぐりにも便利なオリジナル関東地図

フィードバックする
スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。