鎌倉・安養院(田代寺)とは~5月にはツツジも見事な北条政子・田代信綱ゆかりの寺院

鎌倉・安養院

鎌倉・安養院(田代寺)

鎌倉・安養院(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市大町にある浄土宗の寺院で、正式名称は、祇園山安養院田代寺になります。
創建としては、鎌倉時代の1225年に、北条政子が亡き夫・源頼朝の菩提を弔うために、笹目・長楽寺を建立したのが、始まりとされます。
長楽寺があった場所は、由比ガ浜駅から北になる、現在の鎌倉文学館の下、低い山の中腹といったところです。
北条政子が亡くなったあと、3代執権北条泰時が、改めて伽藍を整えて、寺名が政子の法名である安養院に改められました。

鎌倉・安養院

1333年、新田義貞が鎌倉へなだれ込んだ際に、安養院は焼失し、同じく焼失していた善導寺跡(現在の大町)に移転し、善導寺と統合しました。
その後、江戸時代の延宝8年(1680年)にも、再び全焼しました。
再建にあたり、現在の本堂は、廃寺となった鎌倉・田代寺の観音堂を移築して、また、統合になったようです。
このように3寺一緒と言えるのが、鎌倉・安養院となります。


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もともと、田代観音堂は、現在の妙本寺がある、比企ヶ谷(ひきがやつ)の付近にあったそうでして、源頼朝の挙兵時にも名が見られる伊豆の武将・田代信綱が、1192年に開山した寺でした。
そのため、別称は田代寺とも呼ばれる由縁です。
安養院の入口に、8段ほどの階段があるのですが、その右側に、田代信綱の墓がありました。

鎌倉・安養院ですが、開門時間は朝8時~16時30分で、一応は有料拝観となります。
ただ、昼食時間は、閉鎖されているとの情報もありますので、観光客はあまり歓迎ではないようです。
有料ですが、入口に受付窓口があるわけではなく、門を入ると「入場志納・お一人100円ご喜捨下さい」と、小さな賽銭箱が設置あると言う、無人タイプと言う感じです。
最近は、すっかり電子マネーばかり使用しており、また、あちこちでお賽銭に100円投入してきたので、小銭入れを覗くと、手持ちの100円玉が無く、お釣りがもらえないので、困ってしまいました。(10円はあった)
やむを得ず、道路反対側の自動販売機で、1000円札からジュースを買い、小銭を作りました。
今後、寺院の拝観料や、お賽銭も、QRコード決済などが、できるようになると、助かります。
なお、過去に何があったのかは、存じ上げませんが、境内の建物は撮影禁止のようでして、仏につかえる住職さんと思われる方の、怒鳴り声も聞こえることがあるとの情報もございます。
観光客を歓迎なさらないのであれば、一般公開せずに、本当に拝観されたい方だけにと、予約制などになさったほうが、訪問させて頂く側にも、親切なのでは?と感じるお寺さんです。
今後は、改善されていくことを、信じたいと存じます。


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本堂には、御本尊の阿弥陀如来と千手観音、北条政子の像も安置されていると言いますが、表からのお参りのみとさせて頂きました。
その本堂の左手からグルッと奥へ進みますと、墓所があるようです。

鎌倉に現存する最古の宝篋印塔とのことです。
1308年(延慶元年)に造られた国の重要文化財・石造宝篋印塔になっているそうです。
善導寺を開山した、良弁尊観の塔と伝わりますが、尊観は、1316年に亡くなったとされますので、時代が合いませんが、とても貴重です。

少し、小さめなのは、北条政子の宝篋印塔(北条政子の供養塔)とされます。
この宝篋印塔には「二位政子御法号安養院殿如実妙観大禅定尼嘉禄元年七月十三日」と刻まれているそうです。
その他、墓地には映画監督・黒澤明さんの墓もあるようですが、いずれも、境内は撮影禁止なので、ご紹介では、山門前からの写真のみとさせて頂いております。

鎌倉・安養院の観光所要時間は、10分ほどです。

JR鎌倉駅の東口から歩いて徒歩約15分、参拝者用駐車場が3台ほどあるようです。
近くにコインパーキングも豊富なところです。


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隣にある別願寺も拝観させて頂きたかったのですが、なにやら、母屋とその周辺を工事しているようでして、工事中の敷地に入るのは危険なことと、ご迷惑をかけてはいけないと判断し、訪問は断念しました。(目の前の県道も、別の道路工事中で片側通行で、工事だらけだった。)
ぼたもち寺で有名な鎌倉・常栄寺とセットでどうぞ。

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