鑑真(がんじん)は、唐(中国)にて生まれ、揚州・大明寺の住職でしたが、日本から唐に渡った僧侶らから、日本に来て戒律を伝えて欲しいと頼まれて、日本にやってきたと言う事になります。
744年に、唐から出航しますが、暴風雨に合い失敗。
このように、日本への渡航を企てること5回にも及ぶも果せず、6度目・10年目となる753年、日本から来た遣唐使船の帰りに鑑真は乗船し、沖縄から屋久島に到達し、ようやく来日を果たしました。
そして、大宰府に入ったあと754年に奈良・平城京に到着しています。
しかし、気候や激しい疲労などにより、このとき既に鑑真の両目は失明しており、日本の風景を見ることは叶いませんでした。
たくさんの苦難を乗り越えて、日本に来た鑑真を歓迎した孝謙天皇らは、東大寺に住まいを与え、急速に戒律制度が整備されて行きます。
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戒律(かいりつ)と言うのは、仏教の修行者における日常生活規律のことを言います。
鑑真の律宗(りっしゅう)が伝えた四分律(しぶんりつ)が日本で代表的な教典となり、正式な僧侶になるために守るべき事項の標準となりました。
759年、新田部親王の旧宅地を下賜されて、現在の唐招提寺が建立されることになります。
鑑真は、薬草などの知識を日本にもたらし、貧民救済にも積極的に取り組んだと言います。
763年、鑑真は唐招提寺で死去。享年76歳
現在の唐招提寺に伝わる、鑑真の彫像が造られましたが、日本最古の肖像彫刻とされています。
トップ写真は、唐招提寺にある開山堂で、鑑真大和上の尊像が安置されています。
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