源博雅とは 音楽好きな平安時代の公卿

源博雅

源博雅(みなもと-の-ひろまさ)は、平安時代中期の天皇・醍醐天皇の第一皇子である兵部卿・克明親王の長男として、918年に生まれました。
母は藤原時平の娘です。
源博雅は、臣籍降下して皇室を離れて、源姓を賜与された公卿(くぎょう)で、醍醐源氏となります。
承平4年(934年)に、従四位下になってからは、とんとん拍子で出世し、974年には従三位・皇太后宮権大夫に叙任しています。


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雅楽が得意な雅楽家としても知られ、951年には内宴で和琴を演奏しました。
そして、郢曲は敦実親王、箏は醍醐天皇、琵琶は源脩、笛は大石峰吉、篳篥(ひちりき)は峰吉の子・富門と良峰行正と、多岐に渡った学んだようで、博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿とも称されます。
村上天皇の命を受けて笛譜『新撰楽譜』『博雅笛譜』を選上もしました。

音楽にまつわる逸話が多いことから、今昔物語などの多くの話に登場し、近年では、夢枕獏氏の作品や映画などから、安倍晴明の親友であり相棒というイメージも強いです。

逢坂山に棲む蝉丸(せみまる)のもとに3年間通い続けて、琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」、「啄木(たくぼく)」を伝授されたとも。
また、失われた宮中の琵琶「玄象」(げんじょう)を、羅城門の鬼から返してもらった話などが有名です。


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唐楽「長慶子」 (ちょうげいし)』の作曲者とも言われていますが、明らかではありません。
また、源博雅は、酒に強く、酒豪であったともされています。
980年に死去。享年63。

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