藤原顕光の要点をわかりやすく1分で解説【光る君へ】死後怨霊になった悪霊左府(あきみつどの)

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藤原顕光

藤原顕光とは

藤原顕光(ふじわら の あきみつ)は平安時代中期の公卿
父は関白太政大臣の藤原兼通で、長男として944年に生まれた。
母は昭子女王(元平親王の娘)。

NHK2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の 宮川一朗太(みやかわいちろうた)さんが藤原顕光の役を演じられる。


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972年、父・藤原兼通が関白に就任。
973年、妹・藤原媓子が円融天皇に入内すると、975年に藤原顕光は参議になるなど、家柄が良いため出世している。
父・藤原兼通は藤原道長の父・藤原兼家と犬猿の仲であったが、977年、関白である父・藤原兼通が死去。享年53。

藤原頼忠(藤原実頼の嫡男)が後継の関白となったが、天皇との外戚関係がなかったこともあり、藤原兼家の娘・藤原詮子が懐仁親王を儲けたので、藤原兼家に権力が移って行った。
そのため、藤原顕光の出世も止まり、藤原兼家の子(藤原道隆藤原道兼藤原道長)に追い抜かれている。

990年、藤原兼家が死去すると、子の藤原道隆が関白になっている。

995年、京の都で疫病が流行ると公卿が次々の死去。
関白・藤原道隆も大酒が原因で病死し、弟・藤原道兼が関白に就任するも、わずか数日で死去。
そのように周りの人材が亡くなったため、藤原顕光が権大納言に昇進した。
ただし、実権は完全に藤原道長が掌握している。

なお、藤原顕光はかねてから無能で知られており、有職故実・典礼に通じた学識人の藤原実資は日記「小右記」にて「出仕以来、万人に嘲笑され通しだ」と藤原顕光を酷評している。

藤原顕光は長女・藤原元子を一条天皇の女御にし、次女・藤原延子を皇太子敦明(あつあきら)親王の妃とした。
997年、懐妊の兆候があったが、産み月になっても体内から水のみが出るだけで、産気づいても赤子は出なかったと言う。
そのため、藤原顕光と藤原元子は世間から嘲笑を受けたなか、999年、藤原道長は長女・藤原彰子を女御として入内させた。
そして、1000年、藤原道長は藤原彰子を中宮となし、藤原定子を皇后にさせ、権勢を誇っている。
その後、1008年に藤原彰子が敦成親王(のちの後一条天皇)を生み、続いて敦良親王(のちの後朱雀天皇)も生んだため、藤原道長との差をあけられてしまい、後宮対策に失敗した。

さらに次女・藤原延子を小一条院(三条天皇皇子・敦明親王)の妃・堀河女御としたが、同じく妃となった藤原道長の五女・藤原寛子に寵を奪われた。
それでも、藤原一族の中で無能者扱いされた藤原顕光は左大臣として出仕を続けている。

藤原顕光は、1021年正月に従一位に叙せられるも5月25日死去。78歳。
死後、怨霊の祟りとして藤原道長の一族が、世に言う「悪霊左府」(あきみつどの)と恐れられている。


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徳川氏譜代の家臣・本多氏などは、藤原顕光の後裔と称している。

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