フランシスコ・ザビエルとは 日本にキリスト教をもたらした偉人

フランシスコ・ザビエル

フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)は、日本の戦国時代(世界の大航海時代)に、日本にやってきたスペイン人のキリスト教宣教師です。
生まれた家は、スペイン・ナバラ王国のハビエル城で、地方貴族が出自となります。
1525年、19歳で名門パリ大学に留学しています。
最初は哲学を学んでいましたが、やがて聖職者を志しました。

そして、1534年、パリ郊外のモンマルトルの丘にある礼拝堂で7名の仲間で「モンマルトルの誓い」を行います。
その時のメンバーは、フランシスコ・ザビエル以外に、ピエール・ファーヴル、イグナチオ・デ・ロヨラ、シモン・ロドリゲス、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、アルフォンソ・サルメロンとなります。


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1537年、一行はイタリアにて教皇パウルス3世から、布教活動の許可を得ました。

1541年、フランシスコ・ザビエルは、ポルトガルのリスボンを発ち、インドのポルトガル領・ゴアに赴いています。
ゴアを中心に布教活動を進めましたが、1547年、鹿児島出身のヤジロウ(アンジロー)という日本人と出会っています。
この「ヤジロウ」は、若い頃に殺人を犯し、若い頃に人を殺し、九州に来航していたポルトガル船に乗って海外へ渡航してきたとの事です。
その罪を告白するため、船長が紹介したのがザビエルだった模様です。
そして、ヤジロウは、日本人で初めて洗礼を受けた人物とされ、ザビエルは、日本の様子を聞き、日本での活動を決意したとされています。

そして、1549年4月19日、フランシスコ・ザビエルとヤジロウは、ゴアを出発し、約4ヶ月後の8月15日に坊津に上陸しました。
その後、伊集院城にて島津貴久に面会して布教の許可をもらっています。
1550年6月に平戸にポルトガル船が寄港したと聞くとザビエル一行は肥前・平戸に入っています。
その後、堺に上陸し、京へ向かい、小西隆佐(小西行長の父)から歓待を受けています。

大内義隆、大友義鎮からも迎えられたザビエルでしたが、インドからの知らせがあまり無いのが気になり、1552年、ゴアに戻りました。
その後「中国文化が日本に大きな影響を与えている」として、日本での布教を更に浸透させるには、まずは中国での布教が必要だと感じ、中国へ向かいます。
しかし、病気となって、1552年12月3日、中国・上川島にて亡くなりました。享年46。


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フランシスコ・ザビエルは、江戸時代初期の1622年、教皇グレゴリウス15世によって「聖人」に列せられています。
現在、遺骸はボン・ジェズ教会にて安置されており、10年に1回、棺の開帳が行われます。(次回は2024年頃と推測)

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