執権・北条義時の気になる妻4名の一覧リスト【鎌倉殿の13人】北条義時毒殺説も

伊豆・北條寺

鎌倉幕府の2代執権・執権・北条義時の妻をまとめて明記・解説してみたい。

阿波局

北条義時の最初の妻は阿波局とされますが、出自など詳細は不詳です。
鎌倉幕府の御所にて、阿波局は女官(女房)として働いていたと言います。
北条義時が21歳の頃(1183年)に、のち3代執権となる北条泰時を産んでいますので、最初の妻と考えられています。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はドラマ(時代劇)ですので、脚本家の三谷幸喜さんが創作として素晴らしい想像力を発揮し、ドラマの中では源頼朝が愛した八重姫を、阿波局と重ね合わせたような演出となっています。
この八重は、俳優(女優)の新垣結衣さんが演じられました。


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史実において伊東祐親の娘・八重姫は、源頼朝と別れさせられたあと自害したともされます。
また、伊東家の家人・江間次郎の妻になったとも、三浦氏に嫁いだともありますが謎の女性です。

姫の前

姫の前は比企朝宗の娘で、母は越後局と考えられます。
父・比企朝宗は、比企掃部允比企尼の子と考えられますが、比企氏の当主は婿養子となった比企能員でした。
この時代、自分の実の子でも能力が無いと判断すると、他家や親戚から養子を迎えて次期当主にすることがありますので、比企能員はまさにその事例と言えます。

1192年9月25日、比企朝宗の娘・姫の前は北条義時の正室となっています。
「絶対に離婚しない」と言う起請文を差し出して結婚したほど、姫の前は美しかったとされます。
1193年には次男・北条朝時。(名越流)
1198年、三男・北条重時を生みました。

1203年、比企氏が北条一族によって滅ぼされれる「比企能員の変」の際に姫の前は難を逃れており、その前後に離婚して3人の子を残し上洛すると源具親に再嫁しました。
しかし、3年後に死去しています。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、比奈(ひな) と言う役名となっており、俳優(女優)の堀田真由さんが演じられました。

伊佐朝政の娘

伊佐朝政の娘は、1200年に4男・北条有時を産んでいます。
父・伊佐朝政(伊佐二郎朝政)は常陸・伊佐城の伊佐一族と見られますが、伊佐氏の嫡流ではないようで詳しくはわかりません。
北条有時の序列としては、異母弟・北条政村や北条実泰よりも下位で最後尾に記載されているため、伊佐朝政の娘は側室扱い(妾)だったと見てとれます。
側室扱いだったと言う事は、父の身分が低かったと言う事にもなります。


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2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に伊佐朝政の娘は登場しない模様です。
<追記> 11月6日の放送に「サツキ」と言う坂東で暮らす女性が登場予定となり、俳優(女優)の磯山さやかさんが演じられるという事で、そのサツキが伊佐朝政の娘である可能性があったのですが違ったようです。

伊賀の方

伊賀朝光の娘・伊賀の方は比企能員の変のあと継室になったと考えられます。
父・伊賀朝光(いが ともみつ)の妻は、二階堂行政の娘であり、二階堂行政の孫娘と言う事にもなります。
1205年6月22日、北条政村(7代執権)を出産。
1208年、北条実泰を産んでいます。
他には、一条実雅の妻、唐橋通時の妻など子宝に恵まれました。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では「のえ」 と言う役名になっており、俳優(女優)の菊地凛子(きくち・りんこ)さんが演じられます。

伊賀の方の没年は不明ですが、北条氏の菩提寺「北條寺」に、北条義時の墓と並んで、伊賀の方(佐伯氏の娘)の墓もあります。

北条義時毒殺説

北条義時は、1224年6月12日に突然発病します。
そして、翌日に死去しました。62歳。

吾妻鏡によると、脚気と暑気あたりのためと記載されています。
訃報を受けて京にいた北条泰時や北条時房・足利義氏らが急ぎ鎌倉に戻ります。
後継者は誰もが嫡男・北条泰時だと思うなか、7月5日、伊賀光宗(伊賀の方の兄)と三浦義村の密談「伊賀氏の変」が漏れます。
伊賀の方が、実子・北条政村の執権就任と、娘婿・一条実雅の将軍職就任を画策したたと言います。
7月下旬には三浦義村に謀反の意思がないこと北条政子が確認し、伊賀の方と伊賀一族の処分が決定しました。
一条実雅の京都に返され、同行した伊賀朝行・伊賀光重の兄弟はそのまま九州へ流罪。
伊賀の方は伊豆の北条荘、伊賀光宗は信濃に配流となりました。


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このような経緯もあり、後妻・伊賀の方が北条義時を毒殺したと言う説があります。

鎌倉殿の13人「最終回」ラストシーン(第48回)ストーリー展開(ネタバレ)

1221年、承久の乱の際の首謀者のひとりである僧侶・尊長(そんちょう) の実兄が一条実雅で、その尊長が1227年に捕らえられた際のこと。
権中納言・藤原定家の日記「明月記」(国宝)によると、尋問を受けた尊長は「只早頸きれ、若不然ハ、又義時妻義時にくれけむ薬まれ、こひてくハせて、早ころせ」と述べたと言う。
わかりやすく翻訳すると「ただ早く首を斬れ。できないのであれば、義時の妻が義時に与えた薬を飲ませて早く殺せ」と言う発言であったので六波羅探題・北条時氏を驚かせたとあります。

また、北条政子が執権の継承で合戦になるを防ぐため、強引に伊賀の方を鎌倉から排除したと言う説もあります。

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