藤原寧子(藤原道綱の母)をわかりやすく1分で解説【光る君へ】源氏物語に影響を与えた蜻蛉日記を残す

  • HOME
  • 歴メン情報
  • 女性
  • 藤原寧子(藤原道綱の母)をわかりやすく1分で解説【光る君へ】源氏物語に影響を与えた蜻蛉日記を残す
藤原寧子(藤原道綱の母)

藤原寧子とは

藤原寧子 (ふじわらのやすこ)は平安時代中期の女性・女流歌人。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優(女優)の財前直見(ざいぜんなおみ)さんが藤原寧子の役を演じられる。
936年頃の生まれだが、藤原寧子の本名は不詳。
父が中級貴族である藤原倫寧(ふじわらのともやす) と言う左馬頭・藤原惟岳の子であったことから、
父の「寧」の字を取って藤原寧子と表現することになったようだ。
通常は藤原道綱の母(ふじわらのみちつなのはは)として知られる女流歌人。
小倉百人一首での名前は「右大将道綱母」となっている。

蜻蛉日記

954年、摂関家(せっかんけ)の3男・藤原兼家(26歳くらい)から求愛を受け、通い婚が始まったようだが、身籠るとすぐに夫は他の女に通ったとある。

<注釈> 藤原兼家の妻は、藤原道綱の母(藤原倫寧の娘)以外に、藤原道隆を産んだ藤原時姫(藤原中正の娘)、保子内親王(村上天皇の第3皇女)、妾・対御方(藤原国章の娘)、中将の御息所(藤原懐忠の娘?)、権の北の方、藤原忠幹の娘、源兼忠の娘とたくさんいる。


スポンサーリンク



このように「蜻蛉日記」として954年(天暦8年)~974年(天延2年)の約20年間、藤原兼家との結婚生活や、夫の正室・藤原時姫(藤原道長の母)など次々とできる妻妾、唐崎の祓(からさきのはらえ)、石山寺詣で、初瀬の長谷観音詣でなどの旅先での出来事、溺愛したと言う子の藤原道綱など3巻に記録した。
<注釈> 唐崎の祓は、一つ松神社(唐崎神社)の祓に参詣し、禊(みそぎ)をして不浄を心身から取り除くための神事・呪術を受けたと言う事で、1012年には藤原道長も訪れている。

この蜻蛉日記(かげろうにっき) には、夫・藤原兼家の旧妻・源兼忠の娘が960年に産んだ女子を引き取り養女にもしたとあるが、974年、藤原寧子が39歳の頃、藤原兼家が通うのが絶えた年の大晦日を最後に終わっている。

蜻蛉と言う名称は、上巻末尾に「あるかなきかの心地(ここち)するかげろふの日記といふべし」の語があり、書名の由来となった。
意味的には、社会生活の場がない下級貴族出身の女性が、身分の高い男性と結婚し地位向上を目指したが、期待どおりには実現しなかった残念を記載した「かげろうのようにはかない身の上」の日記と言う事だろう。

夫・藤原兼家の次男であった藤原道綱は、異母兄弟である藤原道隆藤原道兼・藤原道長らと比べると昇進が遅れたが、藤原道長とは仲が良く最終的には正二位・大納言となっている。

995年、藤原寧子は没した。(60歳くらい)


スポンサーリンク



なお、973年頃に生まれていた紫式部も、蜻蛉日記を読んでいたようで、その後、テーマを発展させた「源氏物語」が誕生したとされている。

藤原道綱をわかりやすく1分で簡単解説【光る君へ】字を読めなかった公卿?
藤原兼家をわかりやすく2分で解説【光る君へ】権力争いに勝ち摂政を手に入れた藤原道隆と藤原道長の父
藤原時姫を分かりやすく1分で解説【光る君へ】全盛期を築いた藤原道隆や藤原道長の母
藤原道隆をわかりやすく2分で要点解説【光る君へ】藤原道長の兄
藤原道長の何がすごいのか?わかりやすく解説【光る君へ】
紫式部(まひろ)はどんな女性?わかりやすい解説【光る君へ】
光る君へ【キャスト・出演者一覧リスト】NHK大河ドラマ2024年

フィードバックする
スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。