1分でわかる【巴御前】解説~平安時代末期・木曽出身の女武将

1分でわかる【巴御前】解説~平安時代末期・木曽出身の女武将

巴御前とは

巴御前(ともえごぜん)は、弓の名人であり武勇で知られる鎌倉時代の女武将です。
諸説ありますが、中原兼遠の娘で母は千鶴御前、または樋口兼光の娘、または今井兼平の妹などとされます。

巴御前

いずれにせよ、木曽の出身だったようで、源義仲(木曽義仲)が落ち延びると、のちに愛妾となりました。
下記は、木曽・義仲館(資料館)にある巴御前と木曾義仲の銅像。

巴御前と木曾義仲の銅像

木曽義仲の館がある木曽・日義の木曽川には「巴淵」(ともえぶち)と呼ばれる深淵があります。
その深淵に住む龍が巴御前に化身して木曽義仲の生涯を守り続けたという伝説も・・。

巴淵

1180年、木曽義仲が挙兵すると共に行動し、越中・礪波山の戦などを経て、京に入りました。
宇治川の戦いでは、まだ幼かった木曽義仲を逃がした恩人・畠山重忠とも戦ったとされます。
1184年、木曽義仲が源範頼源義経の鎌倉勢に敗れて討死すると、巴御前は故郷の木曾に帰ったとされ、その後の動向は不明ですが、尼になって、越後友松に住んだともされます。

下記は越中・福光城の城下町にある巴御前松公園です。

巴御前松公園

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、女優の秋元才加さんが、巴御前を演じられます。
その大河ドラマ・鎌倉殿の13人では、巴御前を和田義盛が気に入ったと言う説を採用するようです。
その場合、巴御前は鎌倉に赴くと、和田義盛に預けられたと言う事になっています。
平家物語では、巴御前は和田義盛の妻となったとあります。
その話は下記にて詳しくご紹介していますので、よければあわせてご覧頂けますと幸いです。

小田原・善栄寺の歴史解説~巴御前の墓・木曽義仲の墓・北条氏康夫人の墓

また、木曽・日義の徳音寺には、巴御前の銅像だけでなく木曽義仲の霊廟と、墓所の上段に木曽義仲、一段下に樋口兼光、巴御前、小枝御前、今井四郎の墓があります。

巴御前の銅像

下記写真の中央・奥が木曽義仲の墓。
左の大きな墓石は巴御前、右は今井四郎の墓。

木曽義仲の墓

以上、できる限り簡単に解説した巴御前でした。

それぞれの史跡がある場所は、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面でもポイントしておりますので、よければご確認頂けますと幸いです。

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