朝倉阿君丸(あさくら-くまぎみまる)は、戦国時代の越前・朝倉氏の当主である、朝倉義景の長男として、1562年に生まれました。
母は、側室である小宰相(鞍谷嗣知の娘)となります。
この小宰相(こざいしょう)の母は、朝倉貞景の4娘です。
鞍谷氏(くらたにし)と言うのは、かつての越前守護、すなわち、かつての朝倉氏の主君であった斯波氏の後裔で、戦国時代には、朝倉氏の客将となっていました。
そんな越前随一の名門である斯波氏の血も継ぐ阿君丸は、朝倉義景の長男として、ゆくゆくは、跡取りに目され、一乗谷城にて、大切に育てられていた模様です。
しかし、1568年6月25日に急死しました。享年7。
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この早世に関しては、御サシという侍女が、阿君丸の授乳を務めた女性を毒殺し、阿君丸も毒が影響で死に至ったとの陰謀説があります。
一般的には、朝倉一族の争いが影響したものと推測されます。
朝倉義景は、以後、失意に陥り、見かねた、足利義昭は、美濃・岐阜城の織田信長のもとに、明智光秀らと移ります。
その後、心配した家臣らは、美女の小少将と言う別の側室を上がらせました。
1570年、朝倉愛王丸(あさくら-あいおうまる)が誕生すると、朝倉義景は溺愛しています。
・朝倉景鏡の解説 朝倉家を最後に裏切った筆頭一族
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