藤原穆子(ふじわらのむつこ)をわかりやすく1分で解説【光る君へ】娘・源倫子を藤原道長の妻に

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藤原穆子

藤原穆子とは

藤原穆子(ふじわら の むつこ) は平安時代中期の女性で931年に生まれた。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優(女優)の石野真子さんが藤原穆子の役を演じられる。
藤原穆子は、中納言・藤原朝忠の娘で、左大臣・源雅信の正室になった。


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父・藤原朝忠は藤原北家勧修寺流で、祖父・藤原定方の娘が夫・藤原雅正との間に産んだのが藤原為時
その藤原為時の娘が紫式部なので、藤原穆子とは少し遠い親戚と言え、多少の交流があったものと推測できる。
また、兄弟の源雅信は

藤原穆子は源雅信との間に下記の子女を設けている。
次男・源時通、八男・源時叙(寂源)、源時方、源倫子(藤原道長の妻で藤原彰子の母)、中の君(藤原道綱の妻)。

円融天皇のもと、夫・源雅信は順調に出世を重ね、977年、関白・藤原兼通が死去すると、978年、左大臣を兼ねる関白・藤原頼忠が太政大臣になり、源雅信は左大臣(太政官の事実上の最高位)となった。
984年、円融天皇が譲位して花山天皇が即位すると、藤原穆子が産んでいた娘・源倫子を天皇の皇后にしようとも考えた。
しかし、花山天皇は藤原兼家の策動で退位して7歳の一条天皇に譲位。
藤原穆子は、一条天皇より16歳年上の娘・源倫子が天皇の后になるのは年齢的に厳しいと主張。
そんな中、藤原兼家の4男・藤原道長が2歳年上の源倫子(りんし)へ求婚するのを藤原穆子が画策したとも応援したともされる。
そして、藤原穆子の勧めもあり、永延元年(987年)、娘・源倫子(鷹司殿)と藤原道長は結婚している。
結果論ではあるが、その後、藤原道長は栄華を極め、この判断は間違えなかったと言う事になった。

源雅信の土御門邸に出仕していた歌人・赤染衛門は、源倫子と娘・藤原彰子に仕えている。
また、土御門邸に藤原道長が入ると、夫・源雅信や未婚の子女と一緒に一条邸に移居した。

藤原道綱と結婚した中の君が出産時に死去すると、幼い孫を引き取って養育し、婿たちへの季節ごとの贈り物も欠かさなかったと言う。


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993年、夫が源雅信が亡くなると出家して尼となり、東山の観音寺に無常所を造り、一条尼(いちじょうのあま)と呼ばれている。
藤原道長や娘たちから70歳算の修法(70歳を祝う加持祈祷)を盛大に営んだあと、1016年、藤原穆子は86歳で死去。

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