深溝城とは
深溝城 (ふこうず-じょう) は愛知県額田郡幸田町深溝にある平山城。
最初の築城としては、鎌倉時代の1231年に大庭朝満(おおば-ともみつ)が三河国の足利氏に縁が深いこの地に築いたとの伝承があります。
大庭朝満(大庭次郎左エ門朝満)は、相模・大庭城の大庭氏一族と推測されますが、よくわかっていません。
ただ、菩提寺である深溝・長満寺の記録によると、約100年後の1332年(正慶元年)に、大庭朝満(大庭次郎左エ門朝満)が妙龍院日静上人(足利尊氏の叔父)に願い出て創建したとあります。
<注釈> 日静の父は上杉頼重で、母は足利氏の娘とされる。姉・上杉清子は足利貞氏の側室となり足利尊氏・足利直義を産んだ。
こちらが正しければ、1231年と言う伝承は誤りで、1331年、後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕を企てた頃に大庭氏が移住したものと推測されます。
そして、1332年頃から大庭朝泰(おおば-ともやす)が本格的な城へと改修したとされます。
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戦国時代に入ると松平氏が勢力を拡大させ、1524年、松平忠定が深溝城の大庭次郎左衛門主膳を攻めたとあります。
松平忠定
松平忠定(まつだいら-たださだ)は、前述のとおり戦国時代の武将で、五井松平家となる松平忠景の次男として生まれました。
生年は不詳です。
はじめ、岩津城にいたようですが、その後、保母の姫ヶ城に入った模様です。
そして、松平家の宗家筋となる安祥城主・松平長親の命を受けた兄・松平元心が深溝城の大場二郎左衛門(大場景紀)を滅ぼしました。
この時、松平忠定には領地が無かったともされ、兄・松平元心は、弟が大場景紀を討ち取ったと報告したことから、深溝城は松平忠定に与えられたともあります。
<注釈> 松平忠定が大場景紀の家臣・稲吉惣助と謀って、大場景紀を毒殺したとする説もある。
こうして、松平忠定は深溝・松平家の祖となり、五井・松平家は兄・松平元心がそのまま継承したようです。
1531年、松平忠定は死去。
墓所は深溝城の一角とも考えられる本光寺との事。
跡を継いだ子の松平好景(まつだいら-よしかげ) は、1560年、桶狭間の戦いにて松平元康(徳川家康)に従っており、大高城からの撤退時に殿(しんがり)を勤め上げている。
しかし、1561年、東条城・吉良義昭との善明堤の戦いにて松平好景は討死し、深溝松平家3代に松平伊忠が就任した。
松平伊忠
松平伊忠 (まつだいら-これただ) は、1537年生まれで正室は鵜殿長持の次女。
1563年、武田勢が三河・長沢城に攻め寄せると松平伊忠が撃退した。
また、三河一向一揆では、野羽城(六栗城?)に籠城した大津半右衛門、乙部八兵衛、夏目吉信を攻略。
乙部八兵衛を寝返らせて夏目吉信(夏目広次)を捕縛したが、夏目吉信は松平伊忠の仲介で松平信康へ帰参している。
その後、松平伊忠は三河・吉田城攻め、掛川城攻め、姉川の戦い、三方ヶ原の戦いでも活躍。
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1575年、長篠の戦いにも参じて武田信実を討ち取ったが、小山田昌行によって討ち取られた。享年39。
墓所は、深溝・本光寺。
深溝松平家4代当主として子の松平家忠(まつだいら-いえただ)が継ぐと、三河・吉田城の酒井忠次の与力となっている。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにて、徳川家康が江戸城に移封となると、松平家忠は1万石で忍城を本拠にした。
1600年、関ヶ原の戦いのまえ、松平家忠は伏見城の籠城に加わっており、鳥居元忠、鵜殿長照。内藤家長らと討死している。享年46。
戦後、子の松平忠利が1万石で深溝藩主として旧領に復帰しているが、1612年、吉田城に移っている。
のち深溝松平家は島原城に入り島原藩主として続いた。
1615年、大坂の陣のあと深溝城は廃城となり、以後、板倉重昌の深溝陣屋として機能した。
陣屋あとは工場用地となっていて、案内板や石碑がある場所は深溝城と言うよりは深溝陣屋跡と言えよう。
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戦国時代の城跡は本光寺がある山にあったと考えられる。
交通アクセス
深溝城への行き方・アクセスだがJR東海道本線の三ヶ根駅より徒歩12分。
駐車場は本光寺の麓(入口)に大きな無料駐車場がありトイレもある。
深溝城の御城印は幸田町郷土資料館で購入できるようだが、開館や配布は事前に確認して頂きたい。
本光寺の駐車場がある場所は当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)
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