一色右馬介 太平記では足利尊氏の側近として活躍

一色右馬介

NHK大河ドラマ「太平記」に登場する一色右馬介に関して調べてみました。
南北朝時代の武将・今川了俊の「難太平記」では、1333年、篠村八幡宮にて足利尊氏が、鎌倉幕府倒幕の挙兵をした際に、足利尊氏足利直義の奉納の矢を、今川範氏と一色右馬介が手渡したように記載されています。

今川範氏は、のち戦国時代には今川義元を輩出する足利一族・吉良家の分家です。
一色氏(いっしきし)も、清和源氏義国流の足利氏の一門で、足利泰氏の7男・一色公深が幸手城を領地としていました。
この時、足利尊氏に従っていた一色氏としては、一色頼行と異母弟である一色範氏がいます。
なお、足利氏の支族・一色氏の本拠としては、三河の一色村(愛知県西尾市)となります。


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一色頼行(いっしき-よりゆき)の官位は、右馬権頭なのですが、通称などで一色右馬介(いっしき-うまのすけ)と、称していた可能性もあります。
NHK大河ドラマ「太平記」では、架空の武将として、一色右馬介が、忍者のように活躍し、ほぼ全編に登場します。

藤夜叉が産んだ足利直冬を見守ったり、楠木正成との連絡を務めたりしていますが、恐らくは、一色頼行をモチーフにした想像上の武将と言う事なのでしょう。

実際の一色頼行も、足利尊氏に従っており、後醍醐天皇が建武の新政を敷くと、足利尊氏は一時九州に逃れますが、この時、九州落ちした足利一族に一色頼行もいます。
ただし、異母弟・一色範氏の母は、今川範氏の父にあたる今川国氏の娘であることから、どうやら、長兄の一色頼行は庶子扱いだったとも推測されます。

一色頼行(一色右馬助)は、政所関東廂結番を務めていましたが、1336年に南郷城、もしくは1337年に南朝方の阿蘇惟澄と菊池武重との犬塚原の戦いにて、討死しました。


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弟・一色範氏は、初代の九州探題になっており、のち室町幕府は、一色氏に、三河国・若狭国の守護を任せます。
そして、戦国時代には丹後・弓木城一色義清へと繋がりました。

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