最誓寺とは
伊豆・最誓寺(さいせいじ)は、静岡県伊東市音無町にある曹洞宗の寺院です。
八重姫と源頼朝が会っていたと言う、音無の森(音無神社)の近くにあります。
八重は伊東の領主・伊東祐親の娘で、その頃、伊豆に流刑となり、伊東・北の小御所にて暮していた源頼朝(佐殿)と密かに通ずる仲となります。
やがて、2人の間には、千鶴丸が産まれましたが、平家の寵臣である父・伊東祐親の怒りにふれ、千鶴丸は、稚児ヶ淵に沈められてしまいました。
その後、伊東祐親の命にて、八重姫は、江間四郎(江間小四郎、江間小次郎、江間次郎)に嫁いだともされます。
そして、江間四郎(江間小次郎)と八重姫が、千鶴丸(千鶴御前)の菩提を弔うため、おとなしの森に、寺を建立しました。
千鶴丸の西方成仏の意に因み、寺号を「西成寺」にしたとあります。
戦国時代の慶長元年(1596年)に、曹洞宗に改宗し「最誓寺」と改めて現在に至ります 。
謎の江間四郎
江間四郎(江間小四郎、江間小次郎)と言う武将を、鎌倉幕府2代執権・北条義時のことだと、伊東を訪れますとよく目に致します。
確かに、北条義時は、元服すると、父・北条時政から、伊豆・江間荘を与えられたようで江間四郎と称しています。
鎌倉幕府が成立してからも、しばらく、江間四郎と言う名前で登場しています。
実際に、伊豆・北条寺にある北条義時の墓には「北條相模守従四位下 江間小次郎平義時」と刻まれています。
しかし、下記の理由から八重姫が嫁いだ江間四郎が、北条義時であるとは考えにくいのです。
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北条義時が生まれたのは1163年で、千鶴丸が殺害されたのは1175年9月頃(もしくは1173年頃)と推定されています。
仮に、八重姫が北条義時に嫁いだとすると、北条義時は12歳前後で、妻に迎えたことになります。
これは、年齢的にはギリギリといったところですので、可能性はあったかも知れませんがちょっと早すぎる感があります。
また、北条義時の母は、伊東祐親の長女とされます。
すなわち、八重の姉が産んだ子が、北条義時であるため、そんな近親に、結婚するとは、考えにくいところがあります。
結婚したのではなく、八重姫の姉が、八重を預かって、子の北条義時の領地にて面倒を見たと考えた場合にはまあまあ納得できます。
北条義時の元にいたら、はた目からは、結婚したのではと、見受けられたかも知れませんしね。
なお、北条義時の正室は、比企朝宗の娘・姫の前とされています。
北条義時の継室は伊賀の方(藤原朝光の娘)、側室は阿波局、伊佐朝政の娘などで八重姫の名を確認することはできません。
ただし、母が不明の子もいますが、北条家の系図から八重の名は出てきません。
虎御前が語り継ぎ、のち軍記物としてまとめられた曽我物語では、八重姫は江間次郎という武士のもとに嫁いでいます。
曽我物語は、語り継がれてきた内容を、いくつかの本にまとめたものでして、真名本の曾我物語では江馬次郎(江間次郎)は、源頼朝が挙兵したあと伊東祐親の子・伊東祐清とともに、江馬次郎(江間次郎)も加賀国にて討死し、その江馬次郎(江間次郎)の子は北条義時が養育して「江馬小次郎」と名乗らせたとあります。
確かに、伊東祐清は、源義仲(木曽義仲)と戦った加賀篠原(石川県江沼郡)にて討死しています。
江戸時代中期に編纂された豆州志稿(ずしゅうしこう)によると「のち、源頼朝は八重姫が嫁いだ江間次郎を殺害し、その子を北条義時に育てさせ、元服したのちには北条義時を烏帽子親として江間小次郎と名乗らせた」ともあります。
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ここで、四郎ではなく次郎と言う名前が出て来るのですが、鎌倉時代中期の武将・北条時親の子に、江間太郎親時・江間次郎盛時がいます。
しかし、鎌倉時代に入ってからの人物ですので、八重姫の平安時代末期と、時代があいません。
もう一人、江間小四郎を称した武将として、江馬輝経がいます。
この江馬輝経は、平家滅亡のあと北条時政が養育した、敵側である平経盛の子ともされます。
ただし、八重姫の事件は平家滅亡の前ですので、時代が合いません。
しかし、江馬輝経は、北条荘の隣である江間荘を与えられた(江間氏を名乗らせた)とみてよいでしょう。
このように、あとの時代でも江間次郎・江間氏と称する武将がいますので、北条義時が江間四郎と称していたよりも、1代前の時代などに「江間四郎」「江間次郎」「江間小四郎」「江間小次郎」と称した別人の武将がいても、おかしくないです。
問題なのは、八重姫が結婚したと言う、江間次郎(江間四郎)の下の名前が、わからないと言う点です。
このように、八重姫が嫁いだとされる江間四郎は誰だったのか?と申しますと、これがまたハッキリしないのも事実です。
伊東祐親の親心を考えてみても、不幸にしてしまった八重を、他家に嫁がせるか?は、ちょっと疑問に感じます。
仮に自分が八重姫の親でしたら、目が行き届きやすい、近隣の一族、または家来に嫁がせると思います。
これらの理由から、八重姫が嫁いだ江間四郎と言う人物は、北条義時ではない可能性が高いと言えます。
恐らく、この江馬次郎(江間次郎)と言う人物が、北条義時とは別人として存在していたとすると、北条荘から伊東荘に来て伊東氏の家人になっていた、江間一族(江間氏)がいたと推測すれば、一番しっくりくるでしょうか?
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更に「曽我物語」によると、他家に嫁いでいた八重姫は、1180年、父・伊東祐親が伊豆を留守しているあいだに、宇佐美から抜け出し伊豆の山を越えて、源頼朝が身を寄せていた北条時政の邸宅を待女6名を連れて訪ねます。
宇佐美からではなく、伊東・竹の内の別館(静岡県伊東市竹の内)から抜け出したとの記述もあります。
このように、宇佐美は伊東氏の領地ですし、八重が生きていたとしたら、やはり伊東にいたと考えてよいでしょう。
他にも、八重に関しては、入水自殺した、千葉氏に嫁いだなど、色々と説があり「源平闘争録」では、鎌倉幕府が成立した時点において八重姫は生きていることになっています。
また、八重姫自体は実在しなかったなど、伝説の存在ともされます。
更にひとつ調べてみましたので、よろしければ、下記も合わせて、ご確認頂けますと幸いです。
・八重姫の嫁ぎ先である江間小次郎(江間四郎)は原小次郎(京の小次郎・源信俊)なのか?
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて、大泉洋さんの「源頼朝」と、新垣結衣さん演じる「八重」、そして、 主人公・北条義時(小栗旬さん)との関係を、脚本家の三谷幸喜さんがどのような解釈で描くのか?
今のところ、北条義時は「江間小四郎」と言う名前でドラマに登場します。
そして、源頼朝と離された八重は、伊東家の家人・江間次郎の妻になるとしています。
しかし、立場が悪くなった伊東祐親は、江間次郎に八重を殺害するように命じます。
江間次郎は八重を逃がそうとしたため、善児に殺害され、北条義時(江間小四郎)が八重を江間荘にて保護して行くような展開になるようです。
そして、八重は三浦義村の舘から出勤して大蔵御所で侍女として働くようになりますが、亀の前の妨害を受けて北条義時の江間荘にひっこむと、なんと八重は北条義時と結ばれて北条泰時を産むと言う設定の模様です。
3代執権・北条泰時を産んだのは、阿波局と言う本名不明の女性ですが、その阿波局が八重だったと言う解釈でして、とても面白いですね。
八重の死
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代劇において、八重は北条義時と結婚し、金剛(北条泰時)を産みますので、八重 = 阿波局(実名不明) と言う設定と言えます。
しかし、残念ながら八重は不慮の事故で亡くなることになります。
北条義時らは伊豆荘に完成した寺院「願成就院」(がんじょうじゅいん)へ出張していた際の出来事。
八重は鎌倉で子供たちを預かっていたため、鎌倉に残っていたようです。
そして、子供らを連れて鎌倉の川岸へ遊びに行ったとき、三浦義村も同行していましたが、孤児の鶴丸が川で溺れそうになりました。
とっさに八重は川に入り鶴丸を岸に上げるも、金剛(北条泰時)の前で八重自身の姿は見えなくなったという事になります。
史実においての八重姫の墓は、北条荘の八重姫様供養堂になります。
伊東のは関係があるかはわかりませんが、最誓寺の山門を入って左手に、伊東家の墓(伊東一族の墓)があります。
この墓石は、もともと、伊東家の菩提寺である伊豆・東光寺にあったのですが、寺が衰退して江戸時代末期には、1度廃寺になっています。
この時、伊東一族の宝篋印塔や五輪塔などが、最誓寺に移されたとの事です。
交通アクセス
最誓寺への交通アクセス・行き方ですが、伊東駅から約1.3km、徒歩16分といったところです。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキング利用となります。
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伊東温泉からも、そんなに遠くはありません。
訪問される場合には、音無神社、日暮八幡神社もセットでどうぞ。
八重姫は、北条時政の屋敷がある、伊豆の国市にある真珠院にて供養されています。
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