下寺尾官衙遺跡群(しもてらおかんがいせきぐん)の説明
相模国は古代の律令制度においては、
8郡に分かれていて、茅ケ崎市は高座郡(たかくらぐん)でした。
高座郡の範囲は綾瀬・海老名・相模原・座間・茅ヶ崎・藤沢であり、
近代でも高座郡(こうざぐん)として残っています。
(高座郡寒川町など)
日本の律令制度が本格的に確立されたのは、
大化の改新後の660年以降と言われており、
全国的規模で行政区割りが形成されていったそうです。
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そうした時代背景の中、
高座官衙(たかくらかんが)が創設され、
2002年、県立茅ヶ崎北陵高校のグラウンドの発掘調査によって、この遺跡が明らかになりました。
更に周辺の発掘調査によって七堂伽藍跡や祭祀場や川津(船着き場)跡も確認されています。
遺跡の西側では8世紀後半から9世紀前半にかけての船着き場と祭祀場が、
寺跡の南東でも祭祀場が検出されています。
茅ケ崎北稜高校のグラウンドの南西部からは
役人の執務室、正殿は周囲に回廊のような施設、後殿、脇殿
と考えられる施設が確認されています。
郡庁は7世紀末から8世紀前半に成立し、
四面廂付の掘立柱建物である正殿と、脇殿、後殿から構成されていたものが、
8世紀中頃に改変され9世紀前半に廃絶していることがわかりました。
北部には税によって納められた米などを保管する
高床式の倉庫(正倉院)が少なくとも4軒確認されました。
正倉は、郡庁後殿から約100mの空閑地を挟み、
台地の北縁に沿って検出されていますが8世紀中頃には廃絶しています。
(現在はグラウンドは埋め戻されていますが、高校一帯が
金網フェンスで覆われ、一般の人々が立ち入ることはできません)
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このような遺跡が出土されたことによって、
茅ヶ崎市は古代の律令制度において、
相模国高座郡(たかくらぐん)の中心であったと考えられます。
また、古代官衙遺跡の他に、
同じ区域から弥生時代や縄文時代の重要遺跡が確認されています。
(西方貝塚など)
縄文時代貝塚の上に弥生時代の環濠集落、
その上に古代官衙遺跡群、
さらにその上に中・近世活動跡が重層している重層遺跡であり、
その重要性の高さから、
平成27(2015)年3月10日に遺跡群の中心部が国の史跡に指定されました。
現在、JR相模線の「寒川」駅~「香川」駅の線路沿いに、
説明パネルと「下寺尾官衙遺跡群」のパネルが建っています。
お越しの際は、付近は住宅街と農地といった一般の方々の敷地であり、
県立高校、幼稚園もあって生活の場であります。
更に、道路が比較的狭く、カーブと坂道になっており、交通量も多く、
川沿いの道や相模線の踏切はかなり狭いので、
路上駐車は出来ず、車や徒歩で通行する際には、
かなりの注意が必要となりますので、くれぐれもお気を付けください。
今後20年かけて整備を行っていく予定とのことです。
また、茅ケ崎市のホームページより、パンフレットがダウンロードできます。
以下の手順でどうぞ。
「トップページ」⇒「文化・歴史」⇒「指定文化財一覧」⇒「史跡「下寺尾官衙遺跡群」パンフレット」
「下寺尾官衙遺跡群」の説明パネル部分
下寺尾官衙遺跡群の位置や川津(船着き場)、祭祀場の説明パネル部分です。
「高座郡家」(たかくらぐうけ)説明パネル部分
茅ケ崎北稜高校のグラウンドから出土した高座郡家の遺跡の説明パネル部分です。
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