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八重姫様供養堂とは
八重姫様供養堂は、八重姫御堂(やえひめみどう)と言う、源頼朝との悲恋の末、無念の死を遂げた、伊東祐親の娘・八重姫の供養堂になります。
現在、伊豆・守山城跡がある南側の麓、真珠院(しんじゅいん)と言う寺院の境内(伊豆の国市中條)にあります。
真珠院は、鎌倉時代に真言宗の寺として開山したあと、室町時代には曹洞宗に改宗しています。
2022年「鎌倉殿の13人」では、人気女優の新垣結衣さんが、八重として、大河ドラマ初出演されます。
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八重姫の話としては、下記の通りになります。
流刑で伊豆にやってきた源頼朝は、最初、伊東荘で暮らしたようです。
その時、八重姫と恋仲になり、千鶴丸をもうけますが、京から戻った伊東祐親の怒りにあい、千鶴丸は轟ヶ淵に捨てられ、襲撃されそうになった源頼朝も逃走しました。
源頼朝は、その後、ここ北条荘の北条時政が預かっており、その北条時政が京にいたあいだに、今度は北条政子が源頼朝と恋仲となり、子も儲けました。
のち、1180年7月16日ともされますが、源頼朝のことを忘れらなかった八重は、侍女7名(6名とも)と共に、宇佐美から北条荘にやってきました。
ちなみに、源頼朝が挙兵したのは、約1ヶ月後の1180年8月17日でして、4月27日には、源行家から以仁王が平家追討を命ずる令旨が伊豆に届いています。
更に、山木兼隆(平兼隆)が、伊豆目代になったのは、早くて6月29日です。
このように、八重姫が北条荘に来たとされるのは、挙兵の1ヶ月前頃ですので、源頼朝も、あちこちに使者を出すなどして、味方を募ったり、軍議を開いたり、忙しくなっていた時期だと考えられます。
逆に申し上げれば、単純に会いたかったためと言うよりは、源頼朝が挙兵するかもと言う話を耳にした八重姫が、もう、会えなくなる可能性を感じて、わざわざ、北条荘に出向いたのかも知れません。
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そんな時期に八重姫は北条氏の館を訪ねた訳ですが、すでに、北条政子と結婚しているとして、源頼朝に会えなかったとされます。
まぁ、当時、源頼朝に、妾・側室など、何人いても、おかしくないのは、八重姫も理解していたはずです。
北条政子が妨害したように伝わっていますが、いずれにせよ、悲観した八重姫は、増水して激流が渦巻く古川の真珠ヶ淵に身を投げたとされます。
その古川の脇にあるのが、この八重姫供養堂と、真珠院と言う事になります。
ただし、現在の古川は、河川もまっすぐに改良されており、真珠ヶ淵がどこだったのかは、不明です。
八重姫供養堂は、子育ての守り姫としても、親しまれているようです。
なお、念のため、明記しておきますが、八重姫自体は伝説の存在ともされ、実在していたのか、確証がありません。
実際に、伊東祐親は、源頼朝を暗殺しようとしましたが、それが、八重姫のことが理由だったのか?は、不明といったところです。
侍女も後を追って、身を投げたともされ、八重姫主従七女之碑もあります。
大河ドラマでの八重の死
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代劇において、八重は北条義時と結婚し、金剛(北条泰時)を産みますので、八重 = 阿波局(実名不明) と言う設定と言えます。
しかし、残念ながら八重は不慮の事故で亡くなることになります。
北条義時らは伊豆荘に完成した寺院「願成就院」(がんじょうじゅいん)へ出張していた際の出来事。
八重は鎌倉で子供たちを預かっていたため、鎌倉に残っていたようです。
そして、子供らを連れて鎌倉の川岸へ遊びに行ったとき、三浦義村も同行していましたが、孤児の鶴丸が川で溺れそうになりました。
とっさに八重は川に入り鶴丸を岸に上げるも、金剛(北条泰時)の前で八重自身の姿は見えなくなったという事になります。
場面設定としては川での水死ですので、脚本家の三谷幸喜さんは八重姫の伝承と同じような状況にしたと言えるでしょう。
交通アクセス
八重姫様供養堂への行き方・交通アクセスですが、伊豆長岡駅から徒歩12分(約840m)、または、韮山駅から徒歩18分(1.2km)となります。
伊豆の国市レンタサイクル(貸自転車)を利用するのも便利です。
真珠院の山門前に、10台程度の参拝者用駐車場が完備されています。
とてもきれいになさっているお寺さんで、不在で無ければ、御朱印も頂けるようです。
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八重姫にご興味がある場合には、北条氏館跡や、女塚とセットでどうぞ。
また、近隣であれば、北条政子産湯の井戸、願成就院、北条時政の屋敷跡、堀越御所跡などもあります。
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